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「編集とは」。vol.1

残業、本格化。ほどほど頑張って帰ります。昨日のうちに書いておいた記事です。

へんいちさんのオンライン会でお顔を拝見し合う機会に恵まれた、まいまいままさんから興味を持っていただいてしまいまして、恐縮です笑。

まいまいままさんの記事は、例えばこんな風に面白い。

2分で読めるとか、話のオチが絶妙とか、ちゃんと読ませる工夫が施されているので、確かに私のような「読まれなくて良いと思って書いてる」という人間は、衝撃的と言えば衝撃的なんでしょうね。

これについてはあれですね、前にも別noteに書きましたが、各種SNS(Facebook、インスタ、旧Twitter)で実名で色々と読まれることを想定して書いているのと、仕事で読んでもらうための原稿を書きまくっている反動かもしれないですね。

さて。前置きはいいので、改めて「編集とは」。

私が言うことは、一見解に過ぎないという前置きをしつつ。

編集とは、あるもの(A)と、あるもの(B)を繋ぎ合わせて、新しい価値(C)を生み出すこと。とある先輩記者さんに教えていただいた言葉です。

だから文章に限った話ではないですね。

ちなみに辞書にはなんて載っているのかな。

コトバンクにはこのように。

辞書にはそうですよね、です。徳富蘇峰とか凄い先達のお名前も書いてありますが、、、汗。

編集者は、どういう心構えや姿勢で仕事をするかってことで、先述の定義になります。

具体例を挙げると何だろう。雑誌寄りの考えかもしれませんが、とある有名人とその人と縁もゆかりもない研究者との対談を仕掛けてみるとか。

仮にそれは企画の仕事でしょ?という意見もあるかと思いますが、企画者の意図に沿って、または沿わないで誌面や記事をどう方向付けるかは編集者の力量が大きいかと思います(ちなみに沿わないのは全然ありだと思います。最初の企画より面白かったり社会的意義があったり、価値が上がるものならどんどん変えていくべきだし、上の人もそれを受け入れる度量があるべきだと思います)。

長いインタビューのさまざまに展開する話の中から、①有名人がそれまで見せていたイメージの殻を破って、研究者と意見を戦わせていく様を切り取るのか、②研究者の分析力を全面に出して有名人がタジタジになる可愛らしいキャラクターを切り取るのかでは、全く内容が変わってきてしまいますよね。

たまに「勝手なこと書かれた!悪編だ」といった、不幸なことが起きるのも、さまざまな立場の人たちの思惑が、チグハグなまま進んだ結果だからだと思われます。

ここまで読んで、めんどくさそー、と思う方、正確です。

編集は本来的にはかなり面倒な仕事です。

動画編集アプリで稼げる!みたいな広告などの影響もあるかと思いますが、以前よりは誰でもできるイメージに近くなってきているかもしれませんね。

動画の編集で言ったら、私も無料アプリでちょこっとテロップ入れられて簡単にできるな、なんて錯覚してしまいましたが、YouTubeで例えばヒゲダンさんたちのミュージックビデオなどを見たら、プロの編集は全然別物だと気付くはずです。

ま、映像クリエイターの領域と動画編集の役割の違いは私には語るスキルがありませんが。

話は文章の編集に戻りまして。

書籍と雑誌の編集も違います。書籍はほぼやったことがないのでいい加減なことは言えません。雑誌の編集は、第一特集、第二特集、第三特集と、どういった特集でその号を構成するのかを考えるところから始まります。

で、長くなってしまったので、また明日。

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