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それを私たちは敢えて恋と呼ぶ。

私、友だちしか好きにならないんだよね。と言ったら、ん?て顔をしたきみは、私の頭をくしゃくしゃってしてから、もっとにっこりと花が咲くみたいに微笑んだ。

友だちとしか、恋をしない。好きなひととしか、友だちになれない。

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よく知っている手、見慣れたネクタイ、本を読む前には、必ず手を洗うひと。同じ研究室にいたときから、ちっとも変わっていない。最近は、めったに会わない。でも逆に私には、このご時世は心地が良い。本当に会いたいひとにだけ、会えばいいのだから。しかも私が暮らす家には、いつも夫と猫がいてくれて、それはとても温かだ。

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とくにお互いにまめに連絡をとる方でもないので、思いついたようにテキストを送り合うくらい。時々の、おはよう、とおやすみ、とクロッカスが咲いているとか、とびきりおいしいカレーができた、とか。些細な日常の幸福を交換する。でも私は、彼の映画レビューを何よりも信頼しているし、時折私は、とくべつに気に入りの短歌を選んで彼に送る。私と彼は、感性も考え方も言葉にするかたちも、うんと違っているけれど、それでいい。私は、彼の目を通して見る世界の、新鮮な輝きを愛しているし、彼は、私の心のごく柔らかな部分を、まるで繊細で大切なものを守るみたいに扱ってくれる。しかしそんな安心した温かな空気を共有しつつも、私たちふたりの間には、普段は見ないことにしている心の奥底を、わざわざ引っ張り出して互いに曝け出すような、そういう生々しさがあった。実は私たちが何よりも心から希求しているのはそういう依存関係であったから。

実際に待ち合わせをする代わりに、私たちは遠く離れて、同じ時間を過ごす。通勤の電車の中で聴いている音楽を、彼は今朝の気分、と書き添えてリンクを送ってくれる。私はそれをそっとなぞって同じ音楽を聴きながら、朝のお茶を飲む。午後。時々、私たちは同じ映画を観る。せーの、でNetflixの再生ボタンを押して、スマートフォンで音声通話をかけたままにして。こういう景色が見たいなあ、今。スロヴァキアの深い森に雪が降りしきる場面で、彼が小さな声でぽつりと言う。私はヘッドフォンに鼓膜を押し当てるみたいにして、彼の息遣いが聞こえたらいいのにと願う。彼が声を立てずに泣いている気配がした。

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私たちは、お互いの体温を知っているし、そのおかげでずいぶん近くに感じるけれど、ぬくもりや愛情だけなら、私はこんなにもきみのことを必要としないかもしれない。

その明晰な思考や、冷笑的な審美眼や、肝の座った視野の広さや、それでいて人一倍熱情があって、議論好きで、努力することを厭わない勉強家、そしていつも本に埋もれて生きている、そんなきみをずっと見てきたから。そしてそのきみが、私にだけ見せてくれる顔が、時にあることも知っている。それは私たちが互いに互いを深く尊敬して、大切に思っているしるし。

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そんなかけがえのない自分の一部を、人質に捧げるみたいに互いに共有しあって、私たちはそれでもなお、別々に生きている。きみの全部を専有したいとは思わないし、私だけを愛していてほしいとは願わないけれど、きみの中のかけがえのないごく大切な一部だけでいいから、それを私にください。私のこころの一部を食べてもいいから。

私はずっときみに恋しているんだ。

あなたがもし、この創作物に対して「なにか対価を支払うべき」価値を見つけてくださるなら、こんなにうれしいことはありません。