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人は鏡。手作り餃子も鏡。

はろー。餃子の焼き方が再び下手になっています。きょん です。

季節の変わり目だからか、急に寒くなってきたからか、雨が多いからなのか、
急に眠くなってしまうからか、わたし自身の気分の問題なのか、
用事がなければ、家で1人で餃子を食べることが最近は多いです。


そもそも餃子を目的にする時は、1人のことが多くて、餃子と真剣に向き合う上では大切な時間です。

ですが、食事というものは、高度成長期と呼ばれた50年ほど前と比べると少なくなってきたと言われているものの、
子どもの頃は家で家族皆で囲むことが圧倒的に多いことでしょう。

きっと誰かと一緒に食べる時は、食事だけじゃなくて、会話や雰囲気など楽しさも食事の時間では大切な要素になっているんだと思います。


時間の共有や思い出のひとつとしての食事。
わたしにとっては旅行やお出かけにおいても、グルメは切っても切り離せない関係です。

友だちの◯◯さんと、東京の××で、△△というお店の餃子を食べた。
あの時は☆☆☆☆☆だった、、、!
と関連事項も多くて、ただ餃子が美味しいだけではなくって、
その時の楽しかったことや面白かったこと、2倍も3倍も色濃く記憶に残ることになるんだなあと、
これまでの餃子を思い出して感じました。

先日の家での”ぎょうざ会”もそうでした。これまで静かな空間で1人で黙々と作っていたのに、8人で作るとあんなにわいわいしながら、餡を作る前から楽しいことを知りました。

1人の時は、餃子のためだけではなく何かのついでに。

気を少し抜くと、IHで餃子を焼くと皮が剥がれて悲惨な状態に…
ぎょうざ会でも悲惨な状態を披露してしまいましたが、
昨日の1人で焼いた餃子は全部そうなってしまって、テンション下がりました。笑


餃子の研究に限らず、ぎょうざ会の反省も合わせて、
(わたしがお酒を飲んだというだけの言い訳にいし痛くないので。笑)
IHの使い方の研究をします。

食べる時はいつも真剣だけれど、
餃子を作るときは、食材を切ったり、皮で包んだり、焼いたり、盛り付けたりすること
全部の工程で真剣に向き合わないと美味しい綺麗な餃子にならないことを痛感中です。

確かに餃子の修行中では、焼くこと・盛り付けの時の半端なく緊張感しています。
綺麗に羽根がついてときの喜びは計り知れません。
家ではそれほどの緊張感はないし、神経を集中させることもないので、修行中ほど真剣に向き合っていないことが今わかりました。

わたしの気持ちやテンションのブレが、
作っている餃子にも表れていることがわかった、ぎょうざ会と昨日の全滅した餃子でした。

人は鏡

とよくいうけれど、わたしにとっては作っている餃子も鏡かもしれません。

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