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ストーリーと事実とレゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッド

組織における会話の研究書を読んでいる。

これに関して人が生み出す「ストーリー」の特徴についてNoteを書いた。

 上記の記事の中で「創造的なあいまいさ」がストーリーの特徴であるということを紹介したが、これは「ストーリー」好ましくないと思われがちな一面を引き起こす要因にもなることが指摘されている。

 すなわち、創造的なあいまいさが許容されるが故に、語り手が事実とは異なることを「ストーリー」の中へと自然と紛れ込ませてしまうということである。
 大河ドラマや伝記小説などにおいても、視聴者・読者を惹きつけるために、そもそも主人公のセリフや容貌からして読者を惹きつけるためにいろいろな創作的要素が織り込まれるわけである。

 「ストーリー」化のプロセスのなかで、もともと存在したさまざまな要素や事実が無視されたり、矮小化されることが果たして良い結果をもたらすのだろうか、という批判が投げかけられる。歴史家による史料の検討や科学的検証によって、それまでの「ストーリー」が誤りであり、作り手が人々に間違った事実を押し込んできたというわけである。

 そのような検証は、既存の「ストーリー」を破壊することがあっても、検証作業が新たに生み出すことはない。解体されたものは再び新たな「ストーリー」の素材として再活用されるが、語り手は事実の一部を強調したり、異なる部分をまた「ストーリー」の中に紛れ込ませていく。

 なぜ、そのようなことをするのか。それは、語り手にとって大事なのは、事実ではないからだ。その「ストーリー」がもたらす自分もしくは相手の変化だからである。語り手には語りたいことがあり、それを「ストーリー」に乗せていく。相手に語りたいことが伝わるのであれば、その素材は事実でなくてもいいのである。

 レゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドにおいても、そのワークの中でしていることは事実の確認でも真偽の検証ではなく、語り手が伝えたい想いの確認である。そして、その想いを軸にして現実を作り出すための行動のエネルギー引き出し、想いと一致するような事実を生み出すのである。

 繰り返しになるが、既存の「ストーリー」が好ましくないときには、事実や科学的検証によって一旦、それを壊すことができるので、異なる事実の提示や科学的検証(一般的にいう批判の声)には意味がある。ただし、やはり新たな「ストーリー」の誕生がなければエネルギーは引き出されないので、その関係性を分かった上でレゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドを含んだ組織開発のプログラムを設計しなければならないといえるだろう。

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