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アートとレゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドージョン・デューイ『経験としての芸術』をもとに考える

ジョン・デューイという20世紀前半に活躍したアメリカの哲学者の著作『経験としての芸術』を読んでいる。

ジョン・デューイと言えば、教育哲学にも大きな影響を与えており、問題解決型の学習(PBL)という考え方の源流と位置付けられることが多い。私もその文脈で彼の著作に接してきた。

その後、問題解決の第一歩として、自分自身の思考を一歩離れて理解するというメタ的な思考の重要性を感じ始め、それを促進する一つの手法として、レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドに巡り合った。

レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドは、もともと神経科学、教育理論、システム論など組み合わせて作られてきたメソッドである。

非常によく練られたメソッドであると感じるが、さらに、このメソッドの発展可能性は大きいとも感じている。

そこで、より広い分野の知識と組み合わせたり、ある目的や対象に特化したプログラムの開発(新規事業開発や認識変化)や、より効果の高いファシリテーションの方法を日々探っている。筆者の日々のNoteはその痕跡でもある。

その中で、ふたたびジョン・デューイの著作に戻ってきた。

この『経験としての芸術』でデューイは、芸術と経験の概念を重ね合わせ、芸術に関わることがいかに社会を良くすることにつながっていくのかについて考察している。

この著作における議論において、芸術という活動が、芸術家という一握りの特殊な技能を持った人たちにとどまることをデューイは残念に考えていたことが伝わってくる。

では、デューイは芸術というものをどのように考えていたのだろうか。

大きくとらえれば、芸術とは、ある人が自身の経験からえた意味をある形式で表現し、他の人がその表現に込められた意味を受け取り、人生や生活に充実を感じさせるような一連の活動である。

この観点でいえば、美術館に収められるような超絶技巧に支えられた絵画であっても意味を受け取れねば芸術としての価値は低く、市井の生活の中から生まれる詩や歌、落書きなども芸術になりうるのである。

また、レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを使ったワークとその作品が、その人の経験をベースにして作られ、他の人の人生にとって意味深いものとして受け取られるのであれば、それは芸術活動の一部であると理解することができる。

芸術は人生や生活に充実を感じさせることを存在意義とするならば、現在の社会活動とくに人間のエネルギーと時間が多く注ぎ込まれている企業活動において、ジョン・デューイがいう芸術が重要になるだろう。それはウェルビーイングやパーパスという概念とも重なるところがあり、芸術とそれらをつなぐものとしてレゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドができることがありそうだ。

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