THE GAZETTEを読む(48)2022年2月号モノで考えることの事例より
本記事は、ラスムセン・コンサルティングが発行しているメールマガジンTHE GAZETTEのバックナンバーを、日本語訳をしながら、コメントを加えながら読んでいくシリーズの一つである。レゴ®︎シリアスプレイ®︎(LSP)のファシリテーター・トレーニング修了者向けに書いている。
この記事の引用元原文はこちらのURLから確認することができる。
レゴ®︎シリアスプレイ®︎は私たちにモノで考えさせる
ここで紹介されているSarah Kuhnの本は残念ながらまだ日本語訳はされていないが入手は可能である(2022年11月現在)。
本書を覗くと、Sarah Kuhn氏はレゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドのの授業での活用事例と学生たちの反応が本書の中で繰り返し出てくる(もちろん好意的に取り上げられている)。ロバート・ラスムセン氏との教員を対象にした共同セミナーが大人気になったエピソードなども印象深い。しかし、この本においては広くモノを使って考えることへの考察がなされており、レゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドはまさに彼女の実践と考察対象のわずかな部分である。
その意味で、本書を読むことで「モノに触れさせて考える教育」の全体像の中にレゴ®︎シリアスプレイ®︎がどのように位置づけられているのか、そしてその拡張性を考えることができるであろう。特にデザイン思考や製品・サービス開発の教育を展開したいと考える人には参考になるに違いない。
モノで考えることは自然な行為
「脳・手・体全体そして身近な環境を含めたシステム全体で思考している」は、レゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークにおいて起こっていることを、非常に上手く表現している。よく「手で考える」という表現が使われるが(私も使うが)、「考える」ことに頭だけでなく、手や眼やブロックも参加させ、体を動かし作りながら考えるほうが、人々のもつ考える力をより発揮しやすいという言い方のほうが良いと感じる。
それにしても、標準的な教室は「感覚遮断室」であるとの指摘はかなり強力なインパクトである。確かに、学生たちは授業のときに道具や動きに強い制限を課されている。一方の教員は彼らに比べて自由に動き回って道具を使っているのに。もっと生徒や学生たちにモノで考える機会を与えてもよいのではないだろうか。レゴ®︎シリアスプレイ®︎の一つの教育上の役割はそこにあるのかもしれない。
モノで考えることは年齢とは関係ない
ここでの誤読された研究は、ジャン・ピアジェ(Jean Piaget)の研究である。ピアジェは、子どもたちが具体的なモノをいじることで抽象的な概念を獲得していく段階を描くことを説得力をもって報告したことで有名になった。そして当初は、ピアジェは、抽象的な概念を獲得する経験ができれば、他の抽象的な概念も、それを知るだけで具体的な操作を自在にできるようになるとしていたが、後に大学生たちに抽象的な言葉を教えても、実際にそれを具体的に使えなかった経験をすることで、「大人は抽象的な概念を学ぶだけで良い」という考えは捨て去ったとのことである。具体的な経験やモノを使った経験なしの抽象的な言葉の獲得による学びは空虚で知っていても使えないのである。まあ、そうでなければ、レゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドにおいても練習(スキル・ビルディング)は不要となっていただろう。
LSPを使って経験することへのエビデンス
ここでの言葉に私も強く同意する。いろいろな事例が盛り込まれている点において本書には強い魅力を感じる。同時に、欧米ではデカルトに端を発する「考えること=頭を働かせる」という固定観念が、非常に強く根付いていることも感じる。ゆえに、単なる授業事例集ではなく、考えることにおける「身体性」をめぐる理論的な説明についても相当なページが割かれている。
欧米はもちろん、日本でも、レゴ®︎シリアスプレイ®︎への偏見の一つは「道具」を使って考えることへの偏見(話を聞き、知識を文字から得るだけではなぜだめなのか)だと感じる方も少なからずいるだろう。そうしたことに対しても「モノを使う利点」を平易にかつ強いメッセージを語れるようになっておきたいものである。
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