見出し画像

死んだクソおじいさんの遺産の話

もう亡くなって数年経つので書くが、
私の父方のおじいさんが、まぁ、良くない人だった。

近くに住んでいる嫁(私の母)に便所掃除や無駄な雑用を強要したり、

車椅子に乗りながら邪魔な人を杖で膝カックンしたり、

「東大京大早慶上智出身で、医者や弁護士以外の男とは絶対に結婚するな」と、孫のスキルとルックスを一切無視した迷助言を残したりしていた。

他にもここには書けないような、子どもながらにもやっちゃダメとわかることをやったり、

フェミニストじゃなくても聞いたら激怒&大炎上するようなことを言ったりする、

時代錯誤で男尊女卑で、関わる人をもれなく嫌な気持ちにさせる、最強の反面教師だった。

そんなおじいさんのことを家族みんなが嫌いで、口には出さないがとにかく早く逝ってくれと思っていた。いや、口に出しても言っていた。

私は好きでも嫌いでもなかったが、大正生まれだし、時代や環境がこういう人を作り出してしまったんだなと哀れみつつ

“金払いがいい”という点でお財布としては大変優秀だと見込んでいたので、幼少期から計画的に利用していた。

おいしいものを食べさせてくれるのでよく一緒に外食もしたが、口を開くとロクなことを言わないので、

私はよく「高学歴だが万引きで捕まった友達がいる」などという作り話をして、おじいさんにしゃべる隙を与えないようにすると同時に道徳心が芽生えないか実験していた。(芽生えなかった)

私は大学生になってもおじいさんを病院に連れて行ったり、買い物を頼まれたり、(お小遣いをくれることもあり)甲斐甲斐しく世話していた。

私がおじいさんに優しくすると決まって言うのが
「俺が死んだら、居間の引き出しの下から2番目を開けろ」だった。

半信半疑だったが、この言葉のせいで私も「早く逝け派」に片足を突っ込みつつあった。

そして家族や医療関係者など散々周りの人に迷惑をかけまくりながらおじいさんは大往生した。


葬式も終わり、さぁきた!やっときた!ついにきた!とばかりに居間に直行、

何度か覗こうとはしたものの、いつもおじいさんがいる場所の後ろにあるので中々チャンスがなかったその引き出しを、ついに、開けた。


そこには




大量のボラギ○ールがあった。


「こんなものに紛れさせるなんて、にくいのう!」とか思いながら掘り起こしていくも、

どこまでいってもボラギ○ール。

あら、上から2段目だったかしら、とか開けてみたが、そこにもボラギ○ール。

どんだけケツの穴悪いんだ!と半ギレで探すもやはりボラギ○ール。

結局引き出しからは大量のボラギ○ールと持病の薬とどこかのドリンクバーでパクってきたであろう紅茶のティーバッグしか出てこなかった。

これは、どういうことなのかと困惑した

孫にこれほどのケツの薬を残す理由はなんなのか、

なにかケツ穴が痛そうな素振りでも見せただろうか、

それとも何か孫にそういう可能性を感じたのだろうか、

などと考えたが、なんてことはない、残すものなど無かったのだ。

ただ、匂わせて優しくしてほしかったのだろう。

その日私は、なんだかとっても切なくなった。

おじいさんは、誰からも愛される自信がなかったのだ。

家同士の結婚で婿養子に入ったからなのか
お金で人を動かせる世界を知ったからなのか
生身の自分に向けられる愛を感じたことがなかったのだろう。

でももう一度言っておきたいのは、私はおじいさんを好きではないが嫌いでもなかったということだ。

一度だけ、おじいさんが「あれ(私の母)が嫁に来たのは間違いだった」みたいなことを言うので

私は逝けと思いながら「でもお母さんがいなかったら私も産まれてないよ」と言ったら

「そうか、それは困るな」と口をへの字にしたを覚えている。

その時、このジジイ私のことは好きなんだなと思った。

でも信頼はされていなかったのだ。

私が引き出しの中を期待して優しくしていると思ったのだろうか、

まぁ書いたとおり期待もしていたが、おじいさんの性格上何も入っていないであろうことには薄々気づいていた。

例えば金品じゃなくても、
「ありがとう」の手紙なんかだったら私の心は洗われたのに、
なんでボラギ○ールなんだよ!
死んでもなお人を嫌な気持ちにさせるジジイだな!と。

だけど何だか嫌いにはなれない私のおじいさんの話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?