はたらくって「ありがとう」をもらうことだったんだ
これは今、サポートさせてもらっている個人起業家の方から2年前の12月にいただいたメッセージ。12月のお支払いがいつもよりずっと多くてお礼をした時のお返事です。ボーナスをいただいた感じ(仕事関係の方々からパンダ🐼ちゃんと呼ばれています。笑笑)
うれしくて思わずツィートしてしまったくらい。
完璧でいなきゃいけないプレッシャー
日本を離れる時に退職してから早10年が経っていた。
子どもの頃から目指していた先生の職。夢を叶えたはずなのに現実は厳しかった。教えることすら初めてなのに、それ以外の業務が山のようにあるなんて予想外だった。新任一年目の指導教官、M先生がいなかったら辞めていたかもしれない。
しかも「教員は潰しが効かない」と誰かに言われた言葉が呪いのように退路を断ってしまっていた。周りは勤続15年20年という人もいて、定年まで働くのが普通だったし、辞めるという選択肢を思いつきもしなかった。
朝から1時間の補習で早出。定時に帰れたことは一度もない。じゃないと仕事が終わらない。土日も部活。夕食後、電池が切れたように動けなくなる。たまの休みは、泥のように一日中寝ているか、本の世界に入り込んで現実逃避。頭を使う難しい文章が読めず、軽めのフィクションばかり。
一番最悪だったのは、20連勤&真夜中過ぎまで続いた会議。しかも有無を言わさずやることとが当たり前の空気。
ダメなところを探す引き算の世界だった。校則で縛られ、日々の業務に追われ。子どもも大人も自由がなかった。できることが当たり前。できないと人格を否定されるように怒られる。
毎日、無意識に緊張していた。ちゃんとしなきゃ、正しくいなきゃと気を張っていた。頑張ってできないことをできるようにする。失敗は許されない。
でも、「はたらく」ってそういうモノだと思ってた。
なんだか教員志望の学生さんがさらに減りそうな文章ですね(笑)。「もう一度、憧れの職業に!」という誰かさんの思惑に水をさしてしまいました。いや、同期の子は生き生きと楽しそうに先生してますよ。教えることが大好きっていう感じで自信もあって。
それに、これからの時代の教育はきっとわたしが経験してきたことと大きく違ってくるような気がします。ま、教育の未来の話はまた別のnoteで書くかも(しれないし、書かないかもしれない。笑)
とにかく、合わなかったんだと思います。それに尽きる。
最近の職探しで感じること
最近、見つけた求人。私の経験値よりちょっと上のことを求められる職種でした。頑張ればできるかもしれない。応募するだけしてもいいかもしれない。
でも、ワクワクしないのです。
あのストレスフルな環境に身を置くのかと思ったら、いくら条件が良くても頑張ろうと思えないのです。これは私のわがままかもしれない。夫はがっかりした顔をしていました。
それよりも新しいことを学んで、リラックスした環境で働きたい。プレッシャーを感じずにできることをしたい。そう思います。
まあ、私を雇ってくれるところがあるかどうかが重要ですけどね。
「ありがとう」の一言がエネルギー源
今やっている仕事では、普通にできることに価値をもらえています。
「ありがとう」「すごいね」「さすがだわ」という言葉をふとしたことでいただいています。そんなに大したことないって思っていても、相手の方にとっては大きなことだったりする。
頑張らなくていいんだ。完璧じゃなくていいんだ。リラックスした環境でお仕事をもらえていることに、本当に感謝です。
分からないことを調べるのも面白い。知らないことを学ぶのもワクワクする。できないからダメと言われることはない。できないことは断れる。
これって幸せなことなんだなと思います。
この仕事を始めてから「『はたらく』ことが楽しい!面白い!挑戦したい!」と思えるようになりました。
自分のやったことを感謝してもらえる。ぜんぜん頑張っていないし、むしろ楽しんでやっているのに評価してもらえる。それでいいんだって思えるモノに出会えた幸せを噛みしめている今日この頃です。
だから、オンラインサポートの方を広げていきたいな。
noteというコミュニティの雰囲気がとても心地よく、安心安全の場所だなあって思います。サポートいただいた優しさの種は、noteの街で循環していきますね。