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正論よりも寄り添うこと

人生に正解はない。

なんて言葉は大きすぎて、ふ〜ん、そうだろうねというざっくりした感じ。
でも最近、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、と何かを決めたり選んだりすること、またそのタイミングにおいて、それに正解なんてないんだ!と思うことができて少し気持ちが楽になった。

できるだけ損はしたくないけど、損得を重要視していたときは気持ちも含めてとても忙しく決断を急かされている気持ちだった。
余裕があるときはもちろんそうやって損がないように色々準備して動きたいところだけど。

でも余裕がない場合は、損得なんて後回しでいいのだ。
人の手を借りられたり、うまく分担できれば余裕もあるけど、そうじゃない場合、余裕がないときは損得なんて後回し!
自分の気持ちと健康を優先しほうがいい。

今年に入って父の病気が発覚して、どうすればいいのか?と考えたり調べたりして、色々進めなきゃと焦ってとても苦しかった。
兄弟はいるが、一緒に同じ温度で考えてくれるわけでも、積極的に協力してくれるわけでもなかった。

ある日、色々考えていることを一旦横に置こう!って思えるときがきた。
損得で考えるのをやめてみた。
振り返って考えたら自分だけが焦って、早く決めなきゃ、動かなきゃ、なんで兄弟は何もしないの?と考えてとても辛かった。
だから、ぜ〜んぶ今はまだいいじゃん、余裕ないし無理じゃんと自分に言ってみた。

最悪、損したっていいし、今できないなら、何かが起こったときにやればいいって。
自分が追い詰められてまですることではない。
何より兄弟もいるわけで、自分だけが背負って焦る必要はない。
それよりも、もっとおおらかに健やかに居ることのほうが大切。
そう思ったら、ものを見る角度も感じ方も少しずつ変わってきた。


周りの友達も親のお世話をしている人が多いが、それぞれの親の状態、病気はもちろんのこと、状況も環境も違うけど、気持ちは共感できるし、何か便利な情報などは状況にあわせて知識の交換はしあえる。

でも、どうやって親と寄り添うか、どこまで自分ががんばるか、などは、
それぞれが決めたことが正解なのだ。

ただ、とても辛そうに見えたら、自分の場合はこうして少し楽になったということがあれば、言い方には注意して伝えてみている。

やっぱり辛くても苦しくても抜けられないスパイラルにハマる場合もあるけど、それを抜ける決断をするかしないか、そのタイミングは本人が決めるのだから。
横からジャッジすることじゃないし、そうゆうふうに伝わってしまうとそれも違う。
ジャッジではなく、相手に寄り添って、自分に似たような経験があればとても軽い調子で、触りだけ、くらいの感じで伝えて、本人がジャッジするときの選択肢の一つにでもなればいいな、と。

自分を含め、誰しもちょっと追い詰められているというか、ちょっと心も体力的にも苦しい時期だからこそ、決めつけや、余計なアドバイスは(相談先とかお金の補助金とか具体的なことではなく、支える側への気持ちの問題とか行動などのアドバイス)、とても的外れで疲れるコミュケーションな気がする。

わたし自身、色んな想像でのアドバイスや、もしくは指示に近いような言われ方をしてとても疲れてしまったことがある。

とにかく正解はないのだ!!!
他人が正解なんてわかるわけが無いのだから無責任なことで追い詰めてはいけない。

みんな、精一杯対応しているんだから。
そんな中、心に響くのは正解(特にアドバイスする側の個人的な価値観での正解)よりも寄り添う言葉かなと思う。

具体的に聞かれているのであればいいとして、聞かれてもないのにあれこれ言うのはアドバイスしている方は気持ちがいいのかもしれないが、対応している本人の気持ちや聞きたいこととは合わないことのほうが多い気がする。
勝手な正解を押し付けている感じだ。
それに、ただみんな良かれと思って言っていることなので、その場で拒絶もできずにただ聞いているだけというのも辛い。

何か役に立たなきゃ!と思って張り切ってしまう気持ちもわからなくもないが、今自分がこのような状況になったからこそ、友人としてまずは寄り添うことこそが一番なのかなという思いに至った。


わたしは20代の頃に職場の話しを同僚としていて、「それは正論だけど、みんなそんなに強くないんだよ」と言われたことがあった。

その頃わたしは意味がわからなかった。
どうして?正論以外なにがあるの?って。
そんな未熟なわたしでも仲良く楽しく付き合ってくれていて、今思えば有り難い。

でもこの言葉の意味が、今はわかるようになった。

正論、理想論はみんなわかってるんだよね。
それができない、やりたくない、から悩むんだ。

それでいて、本当に正解はないと思う。
何かを軸にしたら正解が出てくるのだろうが、何を軸に考えるかは当人次第。

人生の正解はそれぞれなのだ。 
50歳にもなれば、「人生」という言葉も少し現実味を持って言えるようになったな。
とにかく人の分だけ正解があるのだ。

それぞれ、自分の決断、家族の問題なら家族で出した決断、タイミングでいいのだ。
それを出すのだって、とても大変なんだから。

だから、友人としてできることはそれをしっかり受け止めて聞くこと。
もう頑張ったね、頑張ってるねと称え、共感して寄り添うことなのかなと。

良くも悪くも時間は止まらない。
そして予期しないこと起こり、それに対応する十分な時間もあったりなかったり。
時間がある方が色々悩んでしまうかもしれない。

でも、自分が決めたことがその時の正解。
間違えたと気づき、何かをやめることも正解。

だから、自分の心に素直に。
迷ったり、辛かったり、苦しかったら自分の声を聞こう。

自分の大切な人へも、その人を尊重して寄り添える自分でいたい。

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