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03文通_たわいもない話を。

文通企画も3回目のやり取りとなりました。(2回目はこちら)話は感性をめぐるあれこれについて。閉じられた空間が増えている今、心と身体がうずうずしているのかな。

どんな状況になっても、考えることや文章を書くことは誰にも奪われない。

道前さん

こんにちは、工藤です。
東京では、綺麗だなぁと思う間もなく桜が散りはじめました。
季節を感じる心が鈍っているんですかね。
命を守る緊張感が、感性みたいなものを覆っているんだと思います。

マスクをしているから街ゆく人の表情を見ることもできなくて、
不便だなぁと敬遠していたオンライン会議は、
むしろ自宅でマスクを外しているからお互いの表情が分かったりします。

「当たりまえ」がどんどん変わってゆきますね。
学校によっては休校のところも多いですけど、道前さんのところはどうですか?

福井へのエピソード、自分の聞き書き旅と重なる部分があってなんだか懐かしいです。

あれから10年が経って、日本全国いろんなところに行ったけど、やっぱり記憶の入り口にあるのは聞き書きなんです。あの頃の、17歳の感性を、記憶と一緒に覚えておけるから、どこに行っても楽しめるんです。むしろいろんなところに行けば行くほど、時間が経てば経つほどに17歳の僕の「感性の記憶」は鮮明になっていきます。

「感性の記憶」については、小倉ヒラクさんの記事が面白いからぜひ読んでみて。

もともと、聞き書き甲子園に参加したいと思ったのも、ウズベキスタンに行きたいと思ったのも動機は同じようなことで。「息苦しい!」と日頃から感じていて、その苦しさから解放されたかったんです。

僕が通っていたのは私立高校でしたが、小学校中学校が付属なので、小中からエスカレーター式に上がってくる生徒が結構います。僕は中学まで別の公立学校で、高校からその私立校に入ったんですけど、「同質性」を感じて苦しかったんです。

ちょっと話を遡って…僕が通っていた公立の小学校は、東京の麻布というところにあったんですけど、友達の親の仕事は商店街のお店をやっている人が多くて、いわゆるサラリーマン家庭はほぼゼロでした。外国人が多い街だったので、クラスに何人か外国ルーツの友達もいたし、六本木も近いので裏稼業な仕事をしている家庭もあったし、「普通ってなに?」という状態でした。

中学校も六本木だったので、小学校と同じ感じで、だからそれなりに偏差値の高い私立高校に入ってものすごく違和感がありました。みんなある程度裕福な家庭で育っているし、小中からエスカレーター式に上がってきた生徒同士でコミュニティはできているし、「なんだろう、この小さな世界は?」と思ってしまいました。

そこから逃げるように、バイトでお金を貯めてウズベキスタンに行きました。最初は、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」の巡礼知っていますか?それに行こうとしていました。キリスト教の聖地巡礼の旅で、数百キロの道のりを1か月くらいで歩ききるというものです。

巡礼者は格安で宿と食事を提供してもらえるし、道中でいろんな人と仲良くなれそうだし、一石二鳥じゃないか!と思って、無宗教ですけど行く気満々でした。と思っていたんですが、高校3年生で初海外ということもあり、
「1か月、スペインへ巡礼に行く」という案は親に止められました。

なんでウズベキスタンを選んだのかな。学生向けのボランティアツアーから選んだんだけど、東アジアでも欧米でもない、僕にとって全くイメージがない中央アジアだから、いろんなことを考えるのにちょうどいい「隙間」の場所だったのかもしれないです。

1週間の滞在で、青色の美しい建築もたくさん見たし、現地の人ともたくさん話したし、モスクにも連れて行ってもらったし、物価が全然違うから常に札束持ち歩いているのもなんだか笑っちゃったし、またいつか行きたいなぁ。

食事もチャーハンみたいな「プロフ」とか、うどんみたいな「ラグマン」とか、どれも美味しいです。ただ、ウズベクには「ナン」があるんですけど、カレーのナンとは全く違って、ものすっっごくかたいんです。しかも顔より全然大きいサイズで、それがバザールのお店に大量に並べられています。ソウルフードなんですけど、最後まで少し苦手でした。

ウズベクはシルクロードのオアシスです。東西からいろんなものが、人が、入り混じってきたその国で僕は息がしやすくなりました。

道前さんはもともとどんなことを考えていて、聞き書き甲子園に参加したんですか?聞き書きに参加した理由というよりも、普段どんなこと考えているのかなってことが気になります。

工藤大貴(4月9日、芝浦より)

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工藤さん

こんにちは。道前です。
私の学校は、5月6日まで休校が延長になりました。数日前に始業式のために学校に行ったっきり、もうずっと家にいます。桜が散り始めているのも、話として聞くことはあっても、肌ではあまり感じられていません。 

外の話を聞くと、社会が非日常な状態でも、自然はいつも通りだなと感じます。私が当たりまえだと思っていた、社会と自然がセットで動く日々が壊れていっているのかもしれません。

行事を中止にしたり、インターネットを使って授業を行ったりして、学校という社会が自然に遅れないように努力するんじゃなくて、これからは自然と違うリズムで進んでいけばいいじゃないか、と思ったりもするんですが、現実問題無理なんでしょうね。
今の状況を受け止めつつ、前を向いていたいと思います。

「感性の記憶」についての記事、読みました。何だか感性って記憶に残らないような気がしていたんですが、言われてみれば、あの時こういうことをされるのがつらかったなあ、というのを思い出すのも感性の記憶の一つだなと思いました。

そういった記憶をたくさん持つことで、様々な立場の人が抱えている悩みに気づきやすくなれば、人間として優しくなれるんじゃないかなあと思っています。

私はたぶん優しい人になりたいんだと思います。積極的に物事に関わっていけば、いろんな人と出会います。そして、そんな人たちと出会うことで、私の知らない自分とも出会えます。

出会いのなかで得た感性が、人を優しい人間にするのだと思います。
そんなことを考えていると、様々なことに挑戦したくなって、その中でもビビッときたのが聞き書きだったのかもしれません。

中高一貫の、それも高校からの入学を募集していない学校で、4年間以上も過ごしている私はもしかしたら工藤さんのいう「同質性」に組み込まれているのかもしれませんね。はっきりとしたことは卒業後じゃないとわからないかもしれませんが…

スペインでの巡礼、初めて知りました。何だか日本のお遍路さんのようですね。ウズベキスタンの旅の話、とても面白かったです。ものすごく固いナン…少し興味があります。笑
また、いろんなお話聞かせてくださいね。

道前結(4月13日、西宮より)

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