角田将太郎第2話_cover

第2話 哲学と生活を近づけるひと

哲学と恋愛

高校時代の話からしますね。もともと僕は一つのことにしか集中できないタイプなので、当時、彼女できたんですけど野球部を頑張りたい気持ちが強くて「ごめん野球集中したいから」って、結局別れちゃって。「なんで別れるの?」って周りからもめっちゃ言われました。「お前ごときがあの彼女を振るのか!」って。

僕は「彼女とたくさんの時間を共有してあげないといけない」っていう、恋愛のステレオタイプみたいなことを意識していたんですけど、彼女からしたらそんなことなくて。一緒にいられる関係性が嬉しいとか、そういうところに彼女は重きを置いていた気がするんです。まだ哲学に入っていなかった僕はそれに気づけず…(笑)。

高校生の頃はわからなかったですけど、哲学を続けると、そうやって自分の当たり前とパートナーの当たり前が全然違うんだっていうことが大前提に置けるようになるんですね。なので、今お付き合いしている人には僕の当たり前を押しつけることがなくなって、彼女の当たり前をきちんと理解できるようになっています。

お互いの当たり前で「違うんだと思えるもの」が増えていく。それが増えることで、僕がかける言葉とか、とる行動も彼女に合わせたいものに代わっていきます。

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もちろん、彼女の当たり前全てを第一にしようとすると苦しいんですけど、私とあなたの当たり前違うよねとか、ちゃんと言葉にしてすり合わせようってことをやると、僕も本当に思っていることを伝えていいし、そこから急に突っぱねられても、喧嘩にはならないんです。今の彼女とは全部、対話になっていきます。

ただ、哲学者はテンポが悪いんですよね(笑)。そういう意味で、そもそもモテないかもしれない(笑)。

嫌われたくなかった17歳の頃

少し話が戻るんですけど、高校時代の話を続けると、僕は千葉県の県立船橋高校という進学校に通っていました。1つのことしか集中できないので野球部を引退するまで頑張って、それから本格的に受験勉強をしました。1年半勉強して、浪人して東京大学に進学しました。

進学先を決めたのは、高3の夏くらいでした。哲学という言葉を知ったのも、高3の頃なんです。その時に「心」についての研究がしたいなあと思って、それを軸に大学とか学部を選んだりしたんです。

それで、自分が研究したいと思ったことを研究できるところが、東大にあったし、「心」の研究は神経科学かなと思って東大の理科二類に入りました。

どうして「心」なのかっていうと、高校生の頃は人に嫌われたくない気持ちがすごく強かったんです。どうしたら嫌われないだろうかと考えると、周りの人の期待に応えることができれば嫌われないだろうと。

じゃあ、その人の期待がどうやったらわかるだろうと掘り下げると、その人の心、気持ちがわかればいいだろうということに行きついて。じゃあ、嫌われないようになるために、人の心について研究したいなと。

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でも考えていくうちに、「心ってそもそもなんだ?」という問いが立ってきて。これってどの学問が扱ってくれるんだろうって思ったときに、神経科学見ても心理学見ても違くて。

研究室見ても、脳科学のところにも、いまいち自分がピンとくるところがなかったんです。そんな時に、それをバシッと扱ってくれるところがあって、それが哲学の研究室でした。

高校の頃の話をしましたけど、「心ってそもそもなんだ?」みたいな、僕の問い考え続けるスタイルって、振り返ると、もっと小さい頃にルーツがあるように思います。

(次回、最終回です)

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