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【ネタバレあり】ザ・サークルのラストシーン 勝手に考察

※ネタバレ気にしないで書きます※

※あくまで一個人の感想です※

見終わってなんとなーくレビューやブログを見ていたら、批判的なものが多くて驚きました。私的には「めっちゃリアルで怖いじゃん」っていうのが素直な鑑賞後の感想でした。

今回は、賛否両論あるラストシーンについて自分なりの考えを書いてみようと思います。お手柔らかに…

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最後にCEOとCOOを登壇させた上で、二人の機密情報や個人情報をSNSを通じてバラまき、その場をあとにしたところで終わったラストシーン。


これは、「透明化」や「シェア」を提唱しながらも自分のプライバシーは確保してきた2人への復讐だったのだと思った。

【復讐に至った流れ】

メイは入社以来、彼らの理念に翻弄され続けてきた。

例えば…

①24時間プライベートをシェアしたとき
+世界中の人から注目を浴びて人気を得る
+社内での認知と発言力が高まる
⇒社会的地位が向上
−両親の超プライベートシーンを公開して疎遠に
−友人アニーともカメラがあるが故に本音で話し合えない
⇒「秘密」を持たない事への窮屈さ

②「ソウル・サーチ」のデモのとき
+逃亡中の犯罪者を見つけ逮捕
+犯罪抑止の効果を証明
⇒現代社会での有用性を提示
−自身の人間関係を壊される
−アーサーを死に追いやる
⇒盲目的な人々の、理性やリテラシーの無さに絶望

一方…

幹部2人は欠点を被る当事者になることはなかった。なぜなら、当人たちのプライベートは当人が望む程度でちゃんと守られてきたからだ。

メイの父のリアルタイムでの健康状態まで把握⇔ベイリーの息子の病気の原因や詳細はわからない
メイが以前、幹部の部屋に入っていたことは把握⇔幹部自身が何をどこでしているのかは分からない
推薦する議員にはメール等公開させた⇔自分たちは決してしない

だからこそ、2人に対してメイは「自分でやってみろ」と言いたかったのではないかと。自分たちが推し進めていることの負の側面を体験しろ、と。

そこで…

会社を辞め母国に帰ったアニーと電話した翌朝、メイは表舞台から姿を消したタイ・ラフィートに連絡をした。本編では描かれていなかったが、幹部2人の個人情報の開示とシェアを彼に頼んだのだろう。

いよいよ、プレゼンの場。メイは2人を舞台上に呼び出し、あえて聴衆の目の前に立たせる形を作り、実行に移した。
裏切ったと分かった途端に2人の顔は曇った。Sharing is Caringと言いながら、「透明性」の「完全化」を主張していながら、初めて身をもってその危うさに気付いた瞬間だった。その意味では、メイは目的を達成したと言えるだろう。

【なぜ舞台から降り会場を後にしたのか】

2人にお構い無しでひとり会場を去ったのは、自分ができるのはここまでだという思いがあったからではないか。
本人たちの情報も「透明化」させることで、既に様々な面で「透明化」を強いられた他の社員やメイ自身、世間とフェアな関係を作った。「ここからどうするかは、自分ひとりで決めることではない。どうする?本当にこのまま『完全化』のプロジェクトを進めるの?」と突きつける形を作ったのだと思う。

メイが会社を去ったのか否かは本編には描かれていないことのは、映画として、見ているあなたはどう思いますか?という問いかけを優先した形なのかなと思った。

【最後のカヤックのシーンから思うこと】

最後の最後でカヤックの周りにはドローンが飛び、メイは話しかけている。

つまり、メイの起こした騒動によってサークル社のプロジェクトが頓挫することはなかったと予想できる。

さらに言えば、メイが転覆事件に見舞われた時は貼り付けるタイプの小型カメラが設置されていたのに、ラストシーンではドローンになっていたことから、「完全化」は滞りなく進んでいるのかなとも思った。

ドローンに話しかけるその姿は、監視力が高まり、もう完全に一人きりではカヤックにも乗れない状況を受け入れている様子が伺える。アーサーの事件があれど、結局はこうして受け入れていくのかなと、少し怖さと悲しさも感じた。

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監視社会については、長いこと議論されてきていますが、技術の進歩やSNSの普及、ビックデータの活用が現に行われている今だからこそ、こういう映画もよりリアルに身近に感じられます。

プライバシーと情報の透明性のバランスは永遠に議論され続けるトピックなんだろうなと改めて思いました。

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