【公式見解/魔女の宅急便】キキが飛べなくなる本当の理由
こんにちは。今回はキキの魔法が弱くなることについて、真面目に公式資料に基づいて解説します。
また、ほかの方の記事などでよく言われている説が正しいのかを検証してみます。
“公式見解(メイン)”の部分だけ読めば十分だと思います。どうせ、”説の検証”の部分は全て否定なので・・・(笑)
説の検証
まずは、説の検証です。3つありますが、ありえない順に並べます。
説1)喪失したから(超バカな説)
ありえないです。これは雑学系のYouTube動画のコメントで見たもので、「そのような記事を見た」とおっしゃっていました。
そもそも、キキはトンボと会ってからすぐプロペラ自転車で海岸に行くため、時系列からしてもありえない。物語の本質からも大きく外れた、あまりにも卑劣な個人的解釈。また、これはのちに説明することでも、完全否定できますので、そんな記事を書いた人は作品をまともに見ていない可能性が高いです。
以前の記事でも「資料を集めることが考察の第一段階」と言っていますが、「作品をちゃんと見なさい」とまで言わせるのは笑える。
説2)恋説
恋煩いで魔法が弱くなったという解釈もありますが・・・
私の他の記事で何度も何度も説明しているのですが、
・・・と宮崎さんが否定しているため、”恋説”も否定できます。海岸でキキが怒って帰ったのも、恋や嫉妬ではありません。
説3)初潮説
巷で一番言われているのはこれだと思います。
また、徳間書店から出版されている”ジブリの教科書”にも、この説について触れている方がいます。しかし、結局この人も公式に基づいた考察ではない、個人的な解釈に過ぎないため、真実とは言えません。
公式見解(メイン)
キキのスランプの理由は、作中であるキャラクターが説明しています。
キキの救世主”ウルスラ”
それが、絵描きの”ウルスラ”です。声優はキキと同じ”高山みなみさん”です。一人二役です。宮崎さんも、ウルスラは非常に重要なキャラクターとしています。
そして彼女のあるセリフはキキの魔法が弱くなる理由について、ちゃんと説明しています。
ウルスラもある時スランプに陥ってしまいます。それは今まで描いていた絵が誰かの真似で、真の自分の絵ではないと気付いたからです。
次に、キキの魔法とは?という根本的な話になります。
・キキの魔法とは?
そもそもキキの魔法とはいったい何なのか。
「血で飛ぶ」とあるように、キキの魔法というのは、もともと母から受け継いだものです。
キキは親から魔法の才能・・・ポテンシャルは受け継いでいるのですが、
スランプになる前までは、自分の魔法ではなく、親の魔法で飛んでいました。
キキの魔法は、真に彼女のものではなかったということになります。
これは、上記のウルスラの「それまでの絵がだれかの真似だって判ったんだよ。」という発言に当てはまります。
ウルスラが他人の真似をやめ、真の自分の絵を描いたように、キキは親の魔法から離れ、魔法を真に自分のものにしたことで、また飛べるようになったわけです。
つまり、スランプ前と後で、魔法の所有者は違うのです。
・本作における魔法とは
このように本作での魔法は、我々が想像するような”特殊能力”ではなく、誰しもが待っている才能の一つとして位置付けられています。
つまり、空を飛ぶキキも、絵を描くウルスラも魔法使いなのです。
よって、ウルスラはキキに同情できたわけです。
キキは親の魔法で飛べていたというわけなので、彼女は”なぜ自分には魔法があるのか?”という魔法を持つことに対する、意味・理由が曖昧で、それゆえ脆弱だったのです。
キキは、ニシンとカボチャのパイ事件によって、一度は立て直そうとするが、結局魔法を持つ理由を失ってしまう。
これが、親の魔法を捨てて、真に自分の魔法を手に入れるための通過儀礼になったのです。
海岸のシーンでも、キキは、助手席にいる”ニシンとかぼちゃのパイの少女”に不快感を抱いていることがわかります。
終盤、キキが魔法を取り戻すことができたのも、トンボを助けるために、魔法が必要だからという、魔法の目的・意義ができたからなのです。
言うまでもなく、この魔法はキキ自身の魔法です。
・そもそも原因は本質ではない
宮崎さんも、「描けていたものが描けなくなる」と言います。
もちろん、キキのスランプも、アニメーターのスランプの、”原因”は違うものです。
しかし、宮崎さんがこうおっしゃるということは、「原因は本質ではない」ということです。
原因は人それぞれだけど、誰しもできていたことが急にできなくなることがあるよね・・・わかるよ・・・
とキキに同情すること、自分に当てはめてみること。これが本質なのです。
まとめ
初潮説だとか、点で見れば一見そんな気がしますが、
これはストーリーです。線なのです。
この説は、前後のストーリーや、伏線・・・といった、物語としての一貫性が欠けている。
・意図的に作られたはずである物語として見れていない。
なぜウルスラのセリフがあるのか?、わざわざそのセリフがある意図も理解できていないわけです。