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「弱い」ロボットの本を読んで「日本って超クールじゃん」って思った話

ASIMOでいっとき世界一になった日本は、今やボストンダイナミクスや中国の企業に抜かれ、ロボット面ではもう競争なんてできないんだ。日本は負けたんだ。。。

と思っていた私。

「しかし、そもそも技術面で秀でることがロボットの全てなのか。」

こんな問いを立て、私の先入観をぶちのめしてくれたのが、岡田美智男先生による『 〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』 。

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「弱い」ロボットとは


この本における「弱い」ロボットとはローテクで、自分ではほとんど何もできないが、周りの人間との接触やコミュニケーションを通じて始めて役割を持つロボットのこと。

例えば、ゴミ箱の形をしていて、足はあるけど自分ではゴミを拾えないロボット。このロボットは、ゴミに近づいていって、そこに屈み込み、周りの人間に「拾いたいけど拾えないよ〜」というアピールをする。

すると周りの人間が「仕方ないな〜」と思ってゴミを入れてやる。そうするとロボットは同じ屈む動作を繰り返すのだが、それがお辞儀をしているようでなんだか可愛い。

他にも、「む〜」という発語しかしない、プルルンとした形の目玉のロボット「む〜」や、「あのね、〇〇がね、ねえ聞いてる?」みたいに言い淀むことで人間を会話に引き込もうとする「トーキングアリー」などが紹介されていた。

足し算ロボット vs.引き算ロボット

ボストンダイナミクスの、あのバク宙ができる人型ロボットを思い出して欲しい。

(これは3年前の動画だが、今ではもっとすごいことができるのに違いない。)

こういうロボットは、「足し算」の発想の賜物だ。あれもできたらいい、これもできたらいい、そのためには高解像度のセンサーをつけて、などなど。どんどん新機能が加わっていく家電製品のような発想で、「もっと、もっと」できる方がいいという発想。

それに対して、弱いロボットは「引き算」の発想。「弱いロボット」とは、「機能を引き算する」ことから生まれるロボット。あえて弱さ、無力さを開示することで、人と〈持ちつ持たれつの関係〉をつくる。

ロボットが優秀だと、

仕事をさせる側ーする側

という二項対立に陥ってしまう。「ロボットの高機能さは、わたしたちの優しさや工夫を引きだすのではなく、むしろ傲慢さのようなものを引きだしてしまう」と著者は書いている。だから主従関係のようなものが生まれてしまう。
しかし、逆にローテクなロボットだったらどうか。
例えばルンバ的なお掃除ロボットが段差を乗り越えられずオロオロしていたら、持ち上げてあげる。
ルンバがつまづかないようにコードをまとめておいて、家具の隙間を確保するとか。
そうすることで、人間は人間のできること 、ルンバは「ホコリを吸う」という人間にはできないことをする。
お互いに協働関係にある。「共有された志向性(shared intentionality)」がある関係、ということだ。
ロボットはいじらしい存在。人間はロボットの世話をするのと同時に、世話をしてもらっている。
こっちの方が良くないか?というのが著者の主張だ。

ボストンダイナミクスの動画のロボットを見ると、私はなんだか恐怖を感じる。
テクノロジーのテイクオーバー。
ディストピア。
これこそまさに著者のいう「ひとりでできるもん」型ロボットだ。

しかし「弱い」ロボットと協働関係を築いていく、となるとどうだろうか。
「ひとりでできないもん」とアピールすることで人間が手を貸す。手を貸した人間はなんだかいいことをした気になれる。

もちろん、「ひとりでできるもん」ロボットにも役割はあるが、私たちの日常生活に需要がありそうなのは圧倒的に「ひとりでできないもん」ロボットなんじゃないのか。

結論:日本的ロボット、超イケてるじゃん


「引き算」「貧しさ」「制約」から生まれる豊かな人間-ロボットの関係。
これほど日本的な発想があっただろうか。
こんなクールな考え方、アメリカには到底真似できない。
この本は日本の素晴らしさを思い出させてくれた。
「なんだ、日本ってまだまだいけてるじゃん」と安心させてくれた。
面白いのでぜひ読んでみて欲しい。岩波ジュニア版も最近出ている。

番外編:他にも面白かったところ

ゲンギス


最初はゲンギスというかっこいい名前の昆虫型ロボットの話があった。
これは、デコボコした地面をナビゲートするのに必要な頭脳を持ち合わせて考えてから動くタイプのロボットとは逆。
何かにぶつかったら足を上げてみる、高さを調節してみる、みたいな神経反射的な感じで動くロボット。
それでも同じことができるので、脳味噌なんて必要ないじゃん、状況に合わせて動けばいいじゃん、みたいな話。


マッハの自画像


次にあったのが超音速気流の研究で知られる物理学者のエルンスト・マッハの自画像の話。

https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5761280/picture_pc_d95b8d6d548cd8cd9b77dfa1117119f8.jpg?width=1200

他のノートの方から拝借。
これは鏡を借りずに、自分の目からみた自分を描いてみたマッハの試み。
非常に面白いと思った。
この話のオチは忘れた。

Sociable Dining Table

ノックするとやってくるお皿やポットのロボットSociable Dining Table. 

これは発想がすごくシュールなんだけど、私が面白いと思ったのがノックの回数で指示を変えられるところ。
ただ、ロボットには何回ノックすれば何をする、みたいなプログラムはない。
なのでコンコン、とノックしたら右へ行く。コンコンコン、は何を意味するのかロボットはわからない。なのであっちこっち試行錯誤する。そうしているうちに人間もロボットもお互いの傾向を学習し、ノックを介した言語のようなものができてくる。
みたいな話。

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最後まで読んでくださりありがとうございました!
それじゃまたね〜!

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