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〈九龍ジョー〉という生きる伝統芸能

「クーロン、いいね!クーロン・ジョーとかで、いいんじゃない?」

新宿の看板を読み上げる友人のヤナギくん。

コアマガジン時代、アウトローな雑誌を担当していたウメヤマさんは、急に居なくなってしまった同僚の原稿を仕上げるために、ペンネームが必要だった。

「名前の由来はないんですよ。そんな名前すぐに変えると思ってたし。でも、人に付けてもらった名前っていいよね。それが物語になる。」


7月17日(土)13:00@オンライン。
ゲストに九龍ジョーさんを迎え、第2回企画メシの講座はスタートした。
伝統芸能を調べ魅力を説明するという事前課題が出ていた。
今回はてっきり歌舞伎や講談の解説など気難しいものだと考えていたが、それは思い過ごしだった。


〈九龍ジョー〉が面白すぎる!
これは、〈九龍ジョー=伝統芸能〉ではないだろうかと感じた。


九龍物語に魅了されっぱなしの2時間半。
言葉の企画2020企画生きゃわのが、その様子をみなさんにお届けしたい。

初めての嫉妬や感動を反芻している

「小学生のとき、地味めな同級生の女の子が作った演劇作品に打ちのめされたんだよね。つかこうへいの刑事ものみたいな。今まで誰にも話したことないけど。(笑)」

小さい頃から本を読んだり、物語を作ることが好きだったという九龍さん。

中学時代には、友人に影響されてハードロック・ヘビーメタルの世界(雑誌『BURRN!』など)にも夢中になった。

「世の中にはこんなに素晴らしいものがあるのか!と感動したんです。中二病みたいだけど。熱に浮かされやすいというか、電流が走る感じ。」

心が動かされた物語のひとつひとつを、自分の中で反芻している。
だから何十年前のことも事細かに話せるのだろう。
初めての瞬間を、こんなにも鮮明に記憶している人に今まで出会ったことがない。私は彼より歳は下だが、思い出せないことは沢山ある。シンプルに、羨ましい。

彼はすぐにライターや編集の道に進んだわけではない。むしろ寄り道だらけだ。

新卒で選んだのは、知人に紹介されたテレビ番組の制作会社。
地方の教育番組や東京都の広報などに携わり、1年間ADとして働いた。

原一男の『さようならCP』を見て、ドキュメンタリーを録る仕事に興味を持ったのがきっかけでした。ドキュメンタリーについて議論したいのに、当時の先輩たちはラーメンと野球の話しかしなかったんです。」

次のステップとして選んだのは、築地市場の仲卸。

「理想と現実のギャップに鬱々とし始めた頃、たまたま仕事で行った築地市場で自分よりイキイキと働く人たちが楽しそうに見えたんですよ。2週間後にはADを辞めて、その1週間後にはもう市場で働いてましたね。」

場内の高級仲卸で冷凍された魚を運ぶ仕事は稼ぎもよく楽しいが、次に移ることもしっかり考えていた。「いよいよインターネットの時代がくるとなり、そこに触れてみたかった。」1年で区切りをつけ、魚の話しかしない市場の人たちを残し、ITの世界に飛び込んだ。

書くことで社会とのつながりを感じる

次の転職先はIT系の広告代理店(KANZENの前身となるレッカ社の関連会社)。ここで初めてライティングの経験をする。

「毎日遅刻してたんですよ。本当になめてました。だけど、自称・元商社マンの物知りで個性的な上司が、自分の書いた原稿を褒めてくれたんです。」

当時レッカ社では『別冊宝島』などの有名雑誌を編集プロダクションしていたこともあり、自然と編集の仕事に憧れを持つようになっていった。しかし、変わった上司、疲弊しているデザイナーを見て、その会社も辞めてしまい、半年ほどニート生活を送った。

漫画喫茶でバッファローマンのTシャツを着たまま『キン肉マン』を読んでいる自分にハッとして、そろそろ動き出さないとヤバイと思った。

ただ、このニート期間中に自主制作のホームページでブログを書き始め、名付け親のヤナギくんをはじめ様々な出会いがあった。

「若くて不安定だからこそ、自分の感覚が新しいと思っていました。当時チェルフィッチュという劇団について長文で感想を書いたら、制作の人が会いたいと言ってきたりして。みんなフィードバックを求めているんだな、書けば届くんだなと思いましたね。」

噓から出た実(まこと)

前職で映像編集技術まで身に着けていたことで再就職が決まった。

職業案内所で紹介されたソフトオンデマンド(AV動画の編集会社)でモザイクをかける仕事だ。

「楽しかったんですけど、ずっとモザイクをかけてたら目が悪くなると思って、適度に無断欠勤していたんです。でも、ある日クビになりかけたので、就職が決まったから辞めると嘘をついたんです。大卒で解雇はまずいと思い自分から先手を打とうと思って。(笑)」

どこに就職が決まったのかと聞かれ、目の前にあった雑誌『BUBKA』※の名前をとっさに出した。改めて調べてみると、出版元であるコアマガジンがアルバイトを募集していたため、せっかくだから面接を受けることにしたそう。(※現在の出版元は、白夜書房。)

面接官「え?!モザイクかけられるの?」

九龍さん「はい!たぶん日本でも5本の指に入ります!」


ここでも、前職で培った技術が実を結ぶ。

当時、DVD特典付きの雑誌が流行、モザイク編集の力が必要とされた。嘘をついて仕事を辞めたが、それを真実に変えてしまう九龍マジック。のちに会社のDVD編集を幅広く手掛けるコアマガジンのキーマンとなる。

そこから、映像コンテンツ、雑誌の編集へと仕事の幅は広がっていった。
寄り道上手な彼は、ようやくライター・編集者の道にやってきた。

圧倒的に感じた技術力の差

「うちの会社を好きな人の席は既に埋まっている。嫌いだと言っている君が、新しい椅子を創るんだ。」

太田出版の面接で、そう言われた九龍さん。

「コアマガジンが一番!他社のカルチャー誌の悪口ばかり言っていたんですよ。そんな時、仕事でお世話になっていた吉田豪さんが、太田出版に推薦してくれたんです。僕が太田出版をやたら敵視しているからっていう理由で。(笑)」

当時新しい雑誌を立ち上げるために編集者を探していた太田出版との出会い。ここが一番のターニングポイントだったと九龍さんは語る。

講座が始まって、30分。今までの話は何だったんだ。
盛り沢山すぎるぜ、九龍物語。

敵陣に来てすぐ、今まで自分がやってきたことは全く通用しないことに気づいた。だが、これまで沢山の本や雑誌に触れてきた自信はある。足りないのは技術だけ。

そこからは恥を掻いても先輩たちから必死で技術を学んだ。恵まれた環境のおかげで沢山のことを教えてもらい、尊敬できる師匠ができた。その師匠にもさらに師匠がいて、脈々と受け継がれるものの先端に自分はいて、ぽっと出ではないと思えた。

そしてチャンスは巡ってきた。
非正規雇用についての本を担当することになり、ニート時代に考えていたことが活きた。雨宮処凛さんの『生きさせろ! 難民化する若者たち』だ。

最初は振るわなかった売れ行きも、国会で非正規雇用が取り上げられたことをきっかけに、ベストセラーとなり日本ジャーナリスト会議賞を受賞。

「わらしべ長者って九龍さんみたいな人のことを言うんですね。」と阿部さんは言った。まさにその通りだ。

直感や勢い、縁だけではなく、技術を吸収しまくることを意識して働いてきたという。本で成功したのはビギナーズラックだと彼は言っていたが、これまでのいくつもの経験が線となり形になったのだと思った。

知識なんて関係ない、自分というフィルターを通して出てきたものが面白い

もうおなかがいっぱいの方もいるだろうが、あと少しだけお付き合い願いたい。

伝統芸能について調べた約90名の課題を見た九龍さんは、意外なアドバイスをくれた。

難しく考えず、自分が感じたことを言葉にした方が相手に伝わりやすいんですよ。実際に末廣亭に行ってみたら建物が古かった、とかでもいい。そこ切り取るの?というところにその人らしさが出るんです。」

約15名の課題について取り上げ、コミュニケーションをとってくれた。

その中でも、誰にでも共通するアドバイスを取り上げたい。

自分と言う演算機にまずは入れてみる
〇パッと見の印象は大事にする
〇出したものに対して自分が真に受けているかどうか
〇相手に効果的に届くアウトプットの仕方を心がける
〇自分の師匠(尊敬する人)だったらどうするかという視点をもつ

アドバイスやコメントを直接もらった企画生のみならず、聴いていた多くの企画生の心が震えた瞬間だったと思う。私も課題に挑戦していなかったら感じられなかったはずだ。

この瞬間をきちんと覚えておきたくて、個別でnoteにまとめた。この課題に取り組んだ企画生のnoteもあるので是非読んでみてほしい。沢山の学びで溢れている。


続・九龍物語

九龍さんにとって企画するとは、〈まだ世の中にはないけど、必要とされているものを発見すること〉

見つけるのが自分じゃなかったとしても、誰かがやるべきもの。
だから、迷いがない。
それが世の中にハマる場合もあるし、広く届かなかったとしても意味はある。

ひとつのことに固執せず、面白いと思う方へ飛んでいく。
自分の感覚が鈍らないように、わざと城を築かない。遊牧民のように、次から次に場所を変えて、自分の感覚に正直に生きる。

潔い。かっこいい。羨ましい。
今求められる生き方ではないだろうか。

かつて香港には、無計画に増築されたスラム街〈九龍城〉があった。
縦横無尽に建て増しされた建物で迷路化し、〈一度入ったら出てこられない街〉と言われていた。

〈九龍ジョー〉という人もまた、多ジャンルを行き来し、人とカルチャー、人と人とを繋ぐ。ひとたび彼の存在・彼のヤバイと思うものを知ると、〈抜けだせなくなる沼のような存在〉である。

九龍ジョーという名前に由来はない。

けれど、友人につけてもらったこの名前には、様々な物語が生まれた。
そしてまた新しく生まれていくだろう。いや、今も、誕生の途中かもしれない。

伝統芸能が何百年もの間に形を変え受け継がれ愛されてきたように、〈九龍ジョーという生きる伝統芸能〉は変化し続けながら多くの人を魅了していくに違いない。

これからの九龍物語にも目が離せない。

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