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Scientistインタビュー(2019)前編

今回はダブエンジニアのScientistのインタビューを訳しました。前半はScientistの生い立ちなど、後半は法律問題について語っています。

翻訳元の記事↓

それではいきましょう。

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プロデューサーPhillip "Winta" Jamesとのパートナーシップの議論、2年前、2018年に最もプレイされたレゲエアルバムのひとつ「A Matter of Time」レゲエスターのProtojeはWaxpoeticsのインタビューで語った。彼らが1980年初頭のジャマイカンミュージック史に最初に会ったとき、彼らは意気投合した。
"プロデューサーJunjo LawesとLinval ThompsonがRoots RadicsとエンジニアScientistとの仕事を耐えた時代なんだ。"

dubミュージックのパイオニアであるOsbourne "King Tubby" Ruddock(1941-1989)についての書籍「Dub: Soundscapes and Shattered Songs in Jamaican Reggae」と同時期の作品である。その中でYale Universityの民族音楽学の准教授であるMichael E. Vealが"Scientistの作品は1980年代のKingstonのハードな雰囲気を反映している。" と評している。Scientistのユニークなミキシングスタイルについては "ハードにサウンドを発展させ、よりアーバンに、初期Tubby'sのエンジニアたちよりもエレクトロニックである。" と表現されている。

Protojeは彼らがProtojeの2015年のアルバム「Ancient Future」で集まる前にWinta Jamesに語ってもいる。"あれがおれが音楽で到達しようとしている場所さ。だってScientistはおれがものすごく感銘を受けた人間だよ。おれのお気に入りのdubアルバムは「Scientist Rids the World of the Evil Curse of Vampires」。あれはおれの人生を変えた。おれはこのアルバムをGrand Theft Autoで聴いた。dubミュージックへ開眼したんだ。"

ProtojeとWinta Jamesのディレクションのファンがレゲエミュージックを舵取っている。
私はScientist(旧姓Hopeton Brown)によってエンジニアされたdubへの愛に満ちている。去年の年末は私にとって光栄だった。Scientistに会うためだけでなく彼と友好関係を築くためでもあった。私たちは互いのことを知って、互いのいくつかの考えにリスペクトをしなければいけなかった。そして私たちは電話での会話や12月30日にLos Angelesの歴史的なDubクラブから道路挟んだ場所にあるタイ料理レストランでのインタビューをも楽しんだ。Scientistみたいなジャマイカンサウンドエンジニアのイノベーション抜きでは存在さえしない場所だったのかもしれない。

この記事はScientistとの会話をフィーチャーした2パートの内の前半(Round 1) である。この記事を簡潔にするため、考えをまとめるために少しだけ修正を加えている。

イ: Mr. Brown, このインタビューを受けてくれてありがとう。あなたがHorsemanとしても知られているWinston Williamsと共にイギリスでのショーから帰ってきてすぐだということはわかってるよ。どんな感じだった?

S: うまくいったよ。

イ: あなたはルーツレゲエとdubが生まれた時代と多くの人が黄金期だと信じている1970年代から1980年代初頭にJamaicaのトップレコーディングスタジオの多くに在籍していたように思えるんだ。歴史があなたをこの音楽のイノベーター、パイオニアのひとりと記録することは間違いない。今日は聞きたいことがたくさんあるんだ!

S: オーケー。

イ: このインタビューが予定されたときにあなたが言ったように、あなた自身やあなたの高度に差別化されているキャリアに関するデマや誤解があまりにも多い。これらをここで明らかにできたらと思っている。

S: Yes.

イ: 基本の情報をいくつか紹介しようか。あなたの名前から始めたい。誰もがレゲエとdubについて知っているMr. Scientistじゃない。King Tubbyと共に活動したBunny”Striker”LeeがあなたをScientistと名付けたという物語がある。
それはミキシングのコンソール(ムービングフェーダーのようなものも含む)の技術的な可能性と同等であるあなたのミキシングとレコーディングの考えが多分に先進的であり、ジャマイカンミュージックの未来を予感させるものだった。
延長線上ですべての音楽を議論することができた。これらの話は語りつくされてる!でもあなたのことを読み取ると、ジャーナリストやライターがあなたのことを「Hopeton Overton Brown」や「Overton Brown」「Overton H, Brown」他にもいろいろな並び替えで言及していることを知っている。あなたの本名は何?

S: おれのフルネームは「Hopeton Brown」。おれのことを幼稚園から知ってる奴には「Overton」として知られている。おれのジャマイカの方の家族は皆おれのことを「Overton」と呼ぶよ。

イ: どうやってその名前になったの?

S: おれのお爺ちゃんがおれのことを「Overton」と呼んでいたんだ。だから短パン小僧だった時代のおれを知っている人間はおれのことを「Overton」と呼ぶんだ。

イ: ジャマイカのKingstonのNorman Manley International Airportの近くにあるHarbour Viewっていう漁村で育ったみたいだけど、これは正しい?

S: Yes, 全くもって正確だよ。

イ: 1960年にあなたが生まれた場所もHarbour Viewだったの?

S: ちがう。おれはKingstonのもっと西のほうで生まれた。おれが思い出せる最初の家はWaterloo Roadにあった。

イ: 育った場所としてHarbour Viewはどんな感じだった?あなたのその土地での大事な思い出は何?

S: Weedの吸い方を学んだこと(笑)おれの道を変えてくれたHaile Selassieのことを学んだな。だって当時は人生の悪い側面に行く準備が整ってたんだ。おれはHarbour Viewで二人のラスタファリアンと出会った。彼らはおれに植民地主義のことを説いてくれた。少数によって世界が動かされていることと、リアルなバビロンとは何なのかとかをさ。だからその後、おれは人生を正しく歩み始めたんだ。

イ: イギリスで先月行われたdj 745とのインタビューで、あなたは祖父母に育てられたって言ってたね。

S: Yes.

イ: あなたの祖父母はあなたがスーツとネクタイを着るような人間に育って欲しかったそうだね。

S: Yes. ジャマイカでは多くの人間がweedを吸うようになるという誤解と共に育つんだ。おれのお爺ちゃんは警部だった。おれは家族の恥だったのさ。

イ: Wow, あなたは厄介者だったんだ。

S: Yeah. 家族はおれに試験を受けて、弁護士になって欲しかったんだ。あなたみたいにね。でもおれはスーツが嫌い、着飾るのが嫌いなんだ。毎日制服を着てネクタイを締めるなんてできなかった。
ある日、日が照り付けるバス停で車に乗った牧師がおれら全員を無視して通り過ぎていることに気づいた。雨で濡れていようともだ。そしてその牧師だけが高級車で教会に向かっていたんだ。

イ: 偽善だってこと?

S: 偽善さ!その後に彼は平然と調和や愛を語るんだ。

イ: あなたが祖父母と同じ屋根の下に住んでいたのかどうかが気になる......

S: Yes.

イ: ご両親も?

S: いいや、祖父母だけだよ。

イ: あなたが音楽で成功を納めたことに対してご家族があなたのやっていることを認めた瞬間はあった?

S: 後々になって、家族はおれを認めるようになった。新聞でKing Tubbyの記事が載るときはいつもギャング絡みの話題だったことが誤解の一つだった。King TubbyのサウンドシステムであるHometown Hi-Fiが銃撃を受けたって記事を毎週末みんなが読むんだ。警察はいろんな武器を使って人々を捕まえるんだ。
おれのおばあちゃんはKing Tubbyがおれを間違った道へ引きずりこんだと思っていた。ある日、おばあちゃんがKing Tubbyに向かって "You, you! うちの孫にweedを教えるのをやめなさい!" と言ったんだ。Tubbyはタバコさえ吸わなかったんだぜ。

イ: Hometown Hi-Fiは政治やギャングが衝突するサウンドシステムのひとつだと思っているし、みんながリスペクトするサウンドシステムだったよね。それは政治とは関係が無いこと。PNPとJLPの両陣営(ジャマイカの二大政党)がHometown Hi-Fiをリスペクトしていたよ。それってサウンドがとても良かったからかな?

S: Yeah, 実質、警察がTubbyのサウンドシステムを破壊したんだ。

イ: あなたのお父さんは電子機器の仕事をフルタイムで働いていて、14歳くらいだったあなたは父親から譲り受けた古い電子機器によってあなたの興味が育まれた。とぼくは理解してるんだけど、これは本当?

S: Yes, 本当だよ。

イ: あなたのお父さんは十代のあなたが仕事をしていたOrange Streetの店で働いていたの?Bunny Leeのレコードショップの何軒か先にある店。

S: No.

イ: じゃああなたのお父さんは違う店で働いていたんだ?

S: お父さんはフリーランスだった。近所のテレビ技師だったよ。

イ: あなたが最終的に働いた電気屋は「Lens Radio Electronics」っていう店?

S: Yes, たくさんの宿題をやっていたように見えるよ(笑)

イ: (笑)10代のあなたが電器屋で働いたり、アンプを地元のサウンドシステムのためにテストしたり、組み立てたりするために学校を中退したとき、その決断をご両親はサポートしたの?あなたの祖母の話はよく聞くけど、僕はご両親に興味があるんだ。特にお父さんのほう。だってあなたのお父さんは電気関係の仕事をしていたからね。

S: Yeah, お父さんお母さんは感動していたね。でもお爺ちゃんは警察だったから違った。あのときお爺ちゃんはWaterhouseへ行ってた時のことを思い出していた。まるで「だれのものでもない場所(無法地帯)」のようだった、ってさ。

その後、彼らはおれが学校にいっていないことを発見した。おれは学校に行ってると嘘をついていたんだ。そしたらある日、おれのいとこはおれに関する手紙を受け取らなくて、その手紙がおばあちゃんの元へ届いた。"Hopeton Brownは6か月間学校に来ていない"っていう内容ね。

イ: Wow. 

S: 家に帰ると、おばあちゃんが "今日の学校はどうだった?" と聞いてきた。おれは "いい感じだよ、おばあちゃん。" と答えた。

イ: Oh man.

S: そしたら "問題ないの?" と聞かれたから、"いい感じだよ、おばあちゃん。" と答えた。そしたらおばあちゃんが "「Willy」を食らいな。" と言った。おばあちゃんはベルトのことを「Willy」と呼んでいたんだ。その日は家族全員からシバかれたよ。

イ: Wow, Scientiat, wow. 少なくともあなたは生き延びたわけだ。ここでこうして話してるんだからね(笑)

S: (笑)みんな全然やめようとしないの。ものすごい罰を受けたよ。でもちょっと時間が経ったら家族のみんなはおれをシバくことに飽きた。だって暴力はおれは納得させなかった。おれはスタジオに通ってたからね。学校には行きたくなかった。Christopher Columbusのことを学びたくなかったんだ。

イ: あなたは音楽への情熱についていったんだ。

S: Yeah, Yeah. その後、家族はおれをひとりにした。おれは家族の恥だったんだ。おれはネイバーフッドの人間だった。"あのガキを混ぜるな。彼はギャングとつるんでいる。彼はWaterhouseへ行ってるぜ。"

イ: 悪い人間?

S: 不良のビジネスさ。おれは金がなかった。絶対にギャングには入らなかったよ。

イ: 過去のインタビューの多くであなたはKing TubbyがどれくらいHometown Hi-FiサウンドシステムとKing Tubbyのホームスタジオ(at 18 Dromilly Avenue)が音で成したことを話しているよね。それらがあなたの音楽への好奇心へ影響したんだよね。
Tubbyが作った「Roots of Dub」のようなアルバムたちにその面白みがあった。Bunny Leeの紹介や推薦込みでさ。
あなたの友達がTubbyとの仕事にあなたを導いたとも話しているね。今ここでいくつかのことを明らかにしたい。あなたがTubbyと働き始めたり、アンプを修理したりしていたのはたったの16歳の出来事だったの?

S: Yes.

イ: Tubbyとの仕事を始める前、あなたはStudio Oneで伝説のCoxsone Doddとの仕事を経験してたって本当?

S: Yes.

イ: あなたがCoxsoneとの仕事を始めたのはいつ?Tubbyと仕事をする前だよね?

S: まちまちだったよ。おれはどちらともフルタイムで働いてたわけじゃないから何とも言えないんだ。きっちりした期間は無かった。

イ: あなたは若くしてサウンドエンジニアとしてやっている若き才能だったのは事実だよ。
もう少しあなたのことを掘り下げたい。King Tubbyとあなた、King Jammy(Lloyd Jamesとも知られている)や他のKing Tubbyのスタジオに関係していた有名なエンジニアたちの間にある複雑な関係のことをね。
だってLee Perry、Errol Thompson、多分Prince Busterもそうだけど、今挙げた彼ら以外は世界のダブミュージックが生まれたTubbyのスタジオだったからさ。
いまでもTubbyのスタジオにはTubby'sでカットされたdubに関することで明らかになってないことがたくさんあると思われている。だれがミキシングの大部分をやっていたのか、Tubbyとあなたを含む主なエンジニアたちの関係性なんかがそう。dubミュージックに関する書籍やドキュメンタリー、記事、公演ではあなたはTubby'sに参加するようずっと誘われていただとか、よくKing Tubbyの弟子、見習いだと表現されてたりするよね。JammyはよくTubbyの右腕、後継者、Tubby'sのエンジニアの筆頭と表現されるよね。でも近年のあなたはこのコミュニティーに対して押しのけているよね?

S: ええと、まず初めにJammyは全然信頼できないということを言いたい。おれが最初にブレイクした理由があって、それは彼がHenry Lowesとのセッションをやるためにスタジオに来なきゃいけなかったんだ。おれはガキだったから、Henry Lawesはおれと仕事をやりたがっていなかった。Tubbyは "もしこのレコードをミックス、カットして欲しいならScientistとやれ。それ以外に道は無い。" とHenryに言った。

イ: Jammyはできなかったの?

S: 彼はできなかった。マジで信頼できない人間なんだ。Jammyは絶対にTubbyの右腕なんかじゃ無い。18 Dromily Avenue(King Tubbyのスタジオ)で金を扱える唯一の人間はおれとTubbyだけさ。
「プリンセス」はアメリカの第二地方裁判所で偽証したんだぜ。プリンセスはそこでおれが彼の部下だと偽の証言をした。彼はTuubyのスタジオの3人のディレクターの内のひとりだったんだ。あの証言は嘘なんだ。

イ: Greensleevesとの訴訟について聞きたいことがたくさんある。あなたが言うことに対してあーだこーだ言うのは自由だと感じるけど、Tubbyのスタジオ内の関係について誤解の問題の話をしていきたい。
あなたはイギリスでLioness Izashaによるインタビューをやったよね。彼女が "あなたはKing Tubbyの見習いとして知られている" と言ったとき、あなたは "King Tubbyは自身のミキシング機材やスタジオの動かし方の完璧な知識が無いやつは認めなかった。" と指摘してた。皮肉やいろんなことを顧みてあなたはこう質問した "あなたたちはおれのことを見習いと呼びたいのか?おれは雑用をやってたってのか?" と。
10年前のAngus TaylorとのUnited Reggaeのインタビューでこの点を指摘していた。"Jammyはおれのような経験をしていない。2,30万人の観衆の前でJammysがミックスしたライブって何だ?Jammysが働いた唯一の場所はJammyがセットアップした汚らしい小さな場所だけだろ。Osbourne Ruddock(King Tubby)でさえおれと同じ経験はしていない。......違ったタイプのコンソールで働いていたんだ。"ってね。
あなたは何年もいろんな場面で言ってた。あなたがTubbyと仕事をしていたとき、Tubbyがスタジオの鍵をあなたに渡したり、あなたにお金を管理させたりするくらい信用していた。Jammyじゃないって言ってたよ。それからTubbyがあなたをJammyのよりも上だと言っていたとも話していた........

S: "Jammyが金に触れることは許さない" ってTubbyは言った。"スタジオに奴だけがいるってことは許さない" とも言っていた。Yes.

以上です。

後編は来週にアップする予定です。

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