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【考察】TWICE『Knock Knock』はOrganized Konfusionのオマージュだった!? 浮かび上がるJYPの野望 〜アジアNo. 1ガールズアイドルと最も過小評価された90年代ヒップホップデュオ

*所要時間15分 かなり長いです。 みなさんTWICEを知っていますか? "TWICE(トゥワイス、트와이스)は、2015年に韓国で結成された韓国人5人、日本人3人、台湾人1人の9人で構成された多国籍のアイドルグループ" Wikipediaより 韓国の芸能事務所 「JYP Entertainment」に所属するTWICE。 いまの時代にCDを何十万枚も売り上げ、YouTubeでは億単位の再生回数、さらにワールドツアーも敢行してしまうとんでもないアイドルグループです。

    • Vaporsヒップホップマガジン(1990)

      翻訳元の記事↓ Mark James the 45 Kingは最も多作であり、現在ヒップホップ以外のメインストリームアーティストからも引っ張りだこのプロデューサーである。最近彼はヒップホップフィールド以外の様々なアーティストのリミックスをいくつか手掛けた。一聴するだけで彼とその他のDJたちの違いは識別できる。彼は削ぎ落したビートを好む。そのビートの足元にはファンキーホーンが飛び交っている。これはシンプル至上主義ととらえられるかもしれないが、間違いなくドープサウンドなのだ。

      • Charlie Parkerインタビュー(1954)

        翻訳元の記事↓ Charlie Parkerが思う「あるべきサウンド」、誰がそのサウンドに向かっているのか、彼はその驚くべきチョップをどう手に入れたのかを語っている。 PD=Paul Desmond JM=John McLellan PD: レコードに演奏を吹き込む良いミュージャンはたくさんいるけど、あのアルトのスタイルは他と違うし、前例を見ないよね。当時あなたがやっていたジャズがその先10年のシーン全体を変えてしまうほどの影響を与えたことに気づいた? CP: 言っ

        • Leonard P. Howell~最初のラスタ(2014)

          ラスタファリズムの成り立ち、コミュニティの話がまとめられていた記事があったので翻訳しました Silgoville. St Catherine、1930年11月2日。アフリカはエチオピアではRas Tafari MakonnenはEmperor Haille Selassie Iの座に就いた。彼のサポーターはHaille SelassieこそがGodやJahの啓示だと信じている。彼の誕生はBibleで予言されていており彼の系統はchiristが生まれる何世紀も前に遡るとされて

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        【考察】TWICE『Knock Knock』はOrganized Konfusionのオマージュだった!? 浮かび上がるJYPの野望 〜アジアNo. 1ガールズアイドルと最も過小評価された90年代ヒップホップデュオ

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        記事

          Max Romeoインタビュー(2019)

          55年のキャリアの間、レジェンドレゲエスターMax Romeoのたくさんのヒットソングは百万人規模のファンに楽しみを与え、様々なアーティストに影響を及ぼした。ラップの大御所Jay-Zは自身の曲「Lucifer」(2003)にてRomeoの「Chase the Devil」(1976)をサンプルしたのは有名な話である。 多くのリスペクトを集めているラジオ番組「Sounds of the Caribbean」のホストであるSelecta Jerryによるツイートを通してLos

          Max Romeoインタビュー(2019)

          Steinskiインタビュー 3/3

          パート2はこちら↓翻訳元の記事↓ イ: あなたが「The Motercade」で経験したように、80年代からカットアンドペーストがアメリカよりもUKで受け入れられたと言うのが正しいのかもね。 「We'll Be Right Back(After This Word)」でマイナーヒットを記録したよね。そのことは語りたくないんだけど... S: 文化的な違いがあるんだよ。歴史的にもジャズはアメリカを飛び出してヨーロッパで受け入れられてきただろ、少なくともビバップはまだ盛んだっ

          Steinskiインタビュー 3/3

          Steinskiインタビュー 2/3

          翻訳元の記事↓パート1はこちら↓===================== イ: 「Lesson」シリーズはどれぐらいの数カットしたか覚えてる? S: いつもホワイトレーベル、プロモコピーだったよ。キチンと売る用なんかじゃなかった。Douglasとおれはそれぞれの仕事があったからそんな風のことは考えてなかったよ。サブカルチャーに精通してなかったんだよ。 店で売られていたBig Appleミックスみたいなことは考えてなかった。でも店に並ぶようになってレビュアーやDJがこれら

          Steinskiインタビュー 2/3

          Steinskiインタビュー 1/3

          今回はSteinskiのインタビューを翻訳しました。翻訳元の記事↓それではいきましょう。=====================イ: あなたが真剣にレコードをディグし始めたのはいつ? S: おれが最初に有り余るほどの収入を得ることができた仕事は広告のコピーライターだった。そっから泣く泣くレコード屋を通り過ぎるんじゃなくて、本腰入れてレコードを買うことができるようになったんだ! そのころNew Yorkのダウンタウンに住んでて、おれの家の上にとてもホットなクラブがオープンし

          Steinskiインタビュー 1/3

          Sly DunbarインタビューPart2(2017)

          レゲエドラマーSly Dunbarのインタビューを訳しました。翻訳元のインタビュー↓ part1↓ https://note.com/kijihon/n/n7ee340b4e990 それではいきましょう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 Part2ではRobbieがどのようにプロデュースを始めたのか。デジタルリズムのアドバンテージ、アフリカが「Murder She Wrote」に与えた影響、Kingston All-Starsとの最近の仕事が語られている。 イ: 前

          Sly DunbarインタビューPart2(2017)

          Richard Davisインタビュー(1993)3/3

          2/3はこちら↓翻訳元の記事↓~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~イ: だけど僕にはChicagoはNew yorkに行く準備にもってこいの場所のように映るよ。あなたが経験したすべてのことはそうだと思う。ミュージシャンがChicagoに来た時、あなたは一緒に共演した... RD: 正しい!その通りだよ。Chicagoでおれが経験したことは間違いなくそう。おれにたくさんのことを教えてくれたあるサックスプレイヤーから多くのことを学んだ。Chicagoに来たミュージシャン

          Richard Davisインタビュー(1993)3/3

          Richard Davisインタビュー(1993) 2/3

          1/3はこちら↓翻訳元の記事↓ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~イ: Chicagoに長年君臨してたもう一人のベーシストであり、偉大なマスターであるIsrael Crosbyもいるね。 RD: 普段聴いていた素晴らしいベースプレイヤーがたくさんいた。Eddie Calhounみたいな。Eddie Calhounはおれに曲とは何たるかと言うことを見せてくれた最初の人間だ。ブリッジや「Rhythm」チェンジとか呼ばれるものだね。おれは既にトライアドやコードを知っ

          Richard Davisインタビュー(1993) 2/3

          Richard Davisインタビュー(1993)1/3

          今回はジャズベーシストのRichard Davisのインタビューを約しました。翻訳元の記事↓それではいきましょう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 Richard Davis, ジャズ界のコントラバスの名手のひとりだ。今日87歳の誕生日を迎えた。 私は1993年にWKCRでこの巨匠を接待する特権を得た。その模様は以下に掲載してある。私たちの時間がもっとあれば、と思うばかりだ。 もしもっと時間があったら60年代や70年代の話ができたし、このインタビューではSarah Vau

          Richard Davisインタビュー(1993)1/3

          Larry Smithインタビュー(2006)

          今回はプロデューサーのLarry Smithのインタビューを訳しました。翻訳元の記事↓ それではいきましょう。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 このインタビューは2006年1月に2日間にわたって敢行された。2007年11月にLarry Smithが最初の脳卒中を発症する約2年前である。我々がカバーしたトピックスは広範囲に及び、私はこの記事の目的であるカタログに彼の言葉を載せることを試みた。もし必要のないインタビューならばLarry Smithとの会話は実の無きものになっただろ

          Larry Smithインタビュー(2006)

          REGGAE SHOP NATさんの指摘を受けて

          今回はTwitterで2019年末から2020年3月までに私が翻訳してアップした「ジャマイカ音楽の歴史とアートワーク」がデタラメだという指摘をいただいたのでそれを検証していく記事になります。 今回問題になった翻訳↓ 翻訳元の記事は↓ 再翻訳した記事↓ 指摘してくださった方はレゲエレコードを販売するREGGAE SHOP NATさんです。 まず最初にIN da LIBRARYのTwitterアカウントとのやり取りから問題点を読み取っていきます。 最初の指摘ツイート↓

          REGGAE SHOP NATさんの指摘を受けて

          (再翻訳)ジャマイカ音楽アルバムカバー社会史

          Thank for Dan Mayer翻訳元の記事↓ https://note.com/kijihon/n/ne3e0105cf994 これを翻訳し直しました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ジャマイカ音楽のファンではない人が想像するジャマイカ音楽の画は、おそらくBim Sherman「Exploitation」のようなカバーである。 使い倒されたラスタファリアンカラー、ドレッドの男たち、ぼんやりと政治的な抑圧や自己反省がないポジティブシンキングにまつわるタイトル

          (再翻訳)ジャマイカ音楽アルバムカバー社会史

          Lee Konitzインタビュー(1976)

          今回はLee Konitzのインタビューを訳しました。翻訳元の記事↓それではいきましょう。==================イ: この町であなたに会えてうれしいよ、Lee。最近何をやってるのか、これからの活動を教えて欲しい。 LK: 11月10日からずっとここにいるよ。Ronnie's clubで三週間演奏してるんだ。それが終わったらLondonからツアーさ。この町には3か月滞在してる。ここから5週間は休みなしだぜ。4月が終わるまで行ったり来たり。Warne Marshは

          Lee Konitzインタビュー(1976)