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noteをきっかけに、食べものエッセイの連載がスタートしました。

noteの記事をきっかけとして、連載エッセイのお仕事をいただきました。

掲載先は「食」を楽しみ、笑顔を届けるメディア、アイスムさん。「晴れでも雨でも食べるのだ」というテーマで、食べものにまつわる記憶や風景を綴っていきます。note界の用語でいえば、今年の流行語大賞の筆頭候補「#文脈メシ」のエッセイです。

第一回は、わたしが愛してやまないミルクティーにまつわる想い出について綴りました。写真もほとんどが自分で撮影したものです。読んだ人がなんとなくホッとしたり、やさしい気持ちになれたりしたらいいなと思っています。

ちょうど一年ほどまえ、ヨーグルトをテーマにしたエッセイを書いたときから、食べものを通して生まれる人との関わりやその変化についてしばしば描いてきました。

焼き鳥ににゅうめん、焼きそば、直近ではどん兵衛……。今回たまたまアイスムさんの編集長の目に留まり、お仕事につながったのは、「春のあめ」というエッセイでした。メディアの方向性に合致していたそうです。

このご時世で、取材系のライティングのお仕事が減少傾向にあり、エッセイなどの書きものの需要が高まっているとは耳にしていましたが、依頼をいただいたときは驚きました。

わたしはSNSで拡散するだけでたくさんのPVを取れるようなインフルエンサーでもなければ、大きな感動を呼び起こしたり、衝撃をあたえたり、ゲラゲラ笑わせたりするような「バズる」文章を書く人間でもありません。

食にかんする知識が豊富なわけでもないし、料理が得意なわけでもない。深い考察や分析、お役立ち情報を発信しているわけでもありません。食べものにまつわる記憶と風景を愛していて、日常のきらめきを愛していて、それを言葉にしているだけです。

それがあわよくば、だれかの心を和ませたり、あたためたり、読んでくれた人自身のなつかしい記憶を呼び起こしたり、なにかを考えるきっかけになったりすればうれしいな、くらいの気持ちで言葉を綴ってきました。

過去にWEBメディアの運営側として数字の管理をしていたわたしは、いわゆる「創作」に属する作品にとってはシビアな世界だとわかっていたので、最初は正直なところ、わたしで大丈夫かな?と思ってしまいました。

アイスムさんには、スープ作家の有賀薫さんや料理研究家のコウケンテツさんの連載、女優さん・俳優さんへの取材記事など、著名な方の記事がずらりと並んでいます。そこにわたしが入っていいのだろうか、と心配になりました。

けれども担当者の方は、わたしが書いた文章そのものに目を向け、サイトのビジョンに合致していると感じて依頼してくださいました。「だれかの心に小さな幸せや気づきを与えられるサイトにしたい」との想いで運営しているそうです。

わたしはその想いや世界観に魅力を感じると同時に、まさに自分が書きたいと思っているものにぴったりあうと思い、迷うことなくお引き受けしました。わたしのような書き手を見つけて依頼をくださる方がいること、心からありがたく思います。

アイスムは、簡単につくれるレシピや食にまつわる面白い知識など、「食」を楽しむヒントが詰まったあたたかくて素敵なサイトです。よかったらのぞいてみてください。

話が変わりますが、少し前に、わたしが書いたエッセイを読んだ方から、「自粛ムードで固まった心が温かくほぐれました」という感想をいただき、うれしくて飛び上がりました。ああ、書いていてよかったなあ、これからもそんな文章を書けたらいいなあ、と心から思いました。書きたいことを書いていても、だれかの役に立てるときがあるんだ、とわたしのほうが得をしたような、不思議な気持ちになりました。

もともと、文章を書く目的は人を貶めない限りなんでもありだと思っています。自分のため、だれかのため、大切な人のため。書く行為自体を楽しむため、友人と心を通わせるため、人に役に立ててもらうため、お店や商品の魅力を伝えるため、自分自身と向き合うため、問題提議するため、自分をさらけだして前に進むため、心の傷を癒すため、知識や思考を整理してまとめるため、今の気持ちをただ記録しておくため。なんでもいいと思います。優劣なんてないですよね。

わたしもいつもひとつの目的のために文章を書いているわけではないし、毎回変わるし、なんなら目的なんてない、わからないときだってあります。

伝わり方もさまざまです。自分のために書いたものがたまたまだれかの心に響くこともあれば、だれかのためによかれと思って書いたものが、意図しない形で伝わったり、別のだれかを不快な気持ちにしてしまうこともあるかもしれない。タイミングの問題もある。

そして人には好みがあります。たとえばわたしの文章についても、好き嫌いがあるはずです。苦手に感じる人やつまらないと思う人、それちがうんじゃない?と思う人がいてあたりまえだと思います。そうじゃなけりゃ世界は成り立たないし、おもしろくありません。

でもやっぱり、いや、だからこそやっぱり、たったひとりであっても、だれかの心に届いたことがわかるとうれしくなります。あたらしいコミュニケーションがうまれると、おもしろいな、と思います。そのよろこびがあったから、書き続けてこれたのだと思います。

なんの話かよくわからなくなってきましたが、たくさん読まれるとか読まれないとか、お仕事かプライベートかとか、そういうことには関係なく、言葉を大切にしながら、言葉の向こう側にいる人を大切にしながら、書くことで自分がどう変化していくか、人にどう伝わるかも楽しみながら、「書く」にまつわるあらゆることをおもしろがりながら、文章を綴っていきたいと改めて思いました。(個人的には7割型くるしい作業だと思っていますが、全体でみるとおもしろかったりします)。


お腹が減りました。今からおやつを食べます。

これからもよろしくね。

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