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春のあめ

雨予報だったのに、晴れる日がある。誕生日でもないのに、突然ひょいと、プレゼントが舞い降りてくることがある。ちょっと前まで落ち込んでいたのに、人生やめられない、と不覚にも思ってしまう瞬間がある。

その日わたしは、奇跡のおやつを手に入れた。

災難は重なる。

服にジュースをこぼした。書類を二度も書き損じた。たまたま入ったトイレの紙が切れていた。水たまりを踏んだ。

些細なことでも、積み重なれば気が滅入る。

自業自得のうっかりミスもあれば、運が悪かっただけの場合もある。体調や疲れによるものもある。

けれど、なんとなく心に渦巻く不安や焦り、悩み事があるときには、なにかわるいことでもしたかしら、とか、どうして器用に生きられないんだろう、なんて考えてしまう。原因ばかりに執着して行き止まりにぶち当たるのは、わるいくせだ。

「本当にツイてない」

そう呟いてしまった頃には、もう手遅れのようなもの。「ツイてないわたし」を必死に演じる1日が始まる。

やる気を切らし、集中力を切らし、投げやりになり、ツイてないことを自ら引き起こし、あるいはわざわざ見つけに行って、安心してしまうのだ。うん、やっぱり今日はツイてないんだ、と。

流れを断ち切るにはどうしたらよいだろう。気分を盛り上げるには。

「ぐう」とおなかが鳴ったのは、思いあぐねているときだった。アレだ。こんなときは、アレを食べよう。

カレー屋に自転車を走らせた。ずっと行ってみたかった店だ。

幾度となく前を通りすがり、換気扇から漏れる匂いをくんくんと嗅ぎ、店内をチラ見し、おいしそうなカレーを食べる人を羨んできた。なのに「仕事が落ち着いたら」「なにかのご褒美に」と理由をつけては入らずじまいだったのはなぜだろう。

上手くいかない今日のために、初回切符をとっておいたんだ。

都合のよいストーリーを仕立てようとする自分に苦笑いしつつ、カレー屋の小さなドアを開ける。

店内は思いのほか人が少なかった。カウンター席に通されたわたしは、お冷をコップに注いで席につくなり、ふう、とため息をついた。

「ご注文は」
店長らしき男性が、手元でせっせとカレーをつくりながら尋ねてくる。声に抑揚がなく、ぶっきらぼうで職人気質な雰囲気の人だな、と思った。

わたしは店の一番人気、とろとろのチーズに大胆に包まれたキーマカレーを頼んだ。そのために息を切らしながら自転車を走らせたのだ。ミーハーと言われたってかまわない。

カレーがやってくるのを待っているあいだ、暇を持て余して携帯をみた。充電が残り1パーセントになっていた。

こんなこと、めったにないのに。やっぱりツイてない。

そんなセリフが喉元までせり上がってくる。再び目覚めようとする「ツイてないわたし」に蓋をするため、いやいやいや、と首を横にふった。

目の前にあらわれたチーズキーマカレーは、真っ白な雪をかぶった山みたいだった。ご飯にルー、その上にのった半熟卵まで、チーズにすっぽりと覆われている。

おそるおそる山のてっぺんをスプーンでつつき、卵を割った。じゅわっと滲み出てふもとに落ちていく卵黄は、木洩れ日を浴びて光る小川の流れとでもいえばいいのだろうか、きらきらと蛍光灯の光を反射している。

とろ〜りと伸びるチーズの下から、山肌がみえてくる。艶やかなルーの茶褐色に、ゴクリと唾を飲んだ。

わたしは無言で、むさぼるように食べた。むさぼりながらも、ひとくちずつ大事に食べた。とろけるチーズの塩味、ひき肉の旨み、たっぷりと時間をかけて炒めたにちがいない、飴色たまねぎの優しい甘み。脳を刺激するスパイスの辛さと強さ、繊細さ。不思議なことに、すべてが口のなかで溶け合って、胃のなかにどんどん吸い込まれていく。

トマト、ココナッツミルク、ヨーグルトなど、自然の恵みをふんだんに使ったというキーマカレーは、都会の喧騒からはかけ離れた大地の味がした。

この美しい雪山の大地が、わたしの血肉となり、エネルギーとなるのだ。

きれいに食べ尽くし、深く深く息を吐いた。しばらくぼーっとしながら腹を落ち着かせる。心の深いところに小さな火が灯り、炎となってゆらゆら揺れた。

どんなときも、自分で自分を満たす方法を模索するしか、道はない。

自分にそう言い聞かせた瞬間は、数分後に空から宝石が降ってくるなんて知りもしなかった。

代金を支払い、カウンターに皿を上げたときのことだ。

「はい、特別だよ。お疲れさん」

頭上から突然、まんまるの飴玉が降りてきた。半分ピンク、半分ホワイト。いちごみるくの色をしている。

身体が一瞬、固まった。素っ気なくみえた店長の口から漏れた、小さな子どもを慈しむかのような優しい声が、頭のなかでこだまする。真心に満ちたその声は、骨の奥までずんと響いた。ゴツゴツした手が目の前にある。

「っゔええっ!ありがとうございますっ!!」

彼のあまりのギャップと予想外のプレゼントに心底おどろき、腹の底から図太い声が出た。映画に出てくる少女みたいに穏やかに微笑みたかったのに、可愛げのかけらもない。

どうやらわたしは、店主に気を遣わせるくらいに負のオーラを放出していたらしい。いや、店主が優しすぎるから察知したのか?いずれにしろ、反則だった。反則級のサプライズだ。

カレーを食べて温まった身体が、ますます熱を帯びていく。なにやら目のあたりまで熱くなってきて、とんだ不意打ちじゃないか!と心のなかで叫んだ。叫びながらうれしい胸の震えを抑えた。

わたしはひとりで淡々と、カレーの山を胃に収めたはずだった。けれど本当は、そうじゃなかった。自分ひとりで自分を鼓舞していたわけじゃなかった。彼が丹精込めて、こだわり抜いて作ったカレーを食べながら、彼の優しさに包まれていたのだ。錯覚でもいい。飴玉をみて、わたしはたしかにそう思ったのだった。

この人が作ったカレーを食べることができて、本当によかった。

いちごみるくの飴玉をぎゅっと握りしめ、心を込めて「ごちそうさまでした」と言った。

ツイてるじゃん。

店を出ると、わたしは自転車に飛び乗った。

こんなはずじゃなかったのに、とため息をつく日がある。ツイてないな、と肩を落とす日がある。

けれど、ときどき、おいしいご飯がふつふつと心を燃え上がらせる。じわじわと心を癒やす。

さらには予期せぬタイミングで、いちごみるくの飴玉をくれる人に出会うことがある。寒い日に、静かにホットココアをさしだしてくれる人に出会うことがある。

ツイてない日が、ツイてる日に変わる瞬間がある。

大きくなるにつれて、自分で自分を励ます術を覚えていった。自分を励ますためのカレーが、カツ丼が、ケーキが、プリンが、とてつもなく旨いことを知った。

でも、不意に落ちてくる飴玉には、やっぱりどうやったってかなわないなあ、と思うのである。

四つ葉のクローバーを見つけたときのような、ふと見上げた空に虹がかかっていたときのような、晴れやかなときめきをくれる奇跡みたいな瞬間の存在が、人間の存在が、「人生捨てたもんじゃない」と思わせてくれる。

だれかの悪意や世の不穏な空気、自分のふがいなさ。そうしたものに押しつぶされそうになったときには、あの飴玉みたいなものを、心のど真ん中でぎゅっと握りしめていたい。そして大切にしてきた飴玉を、もったいぶらずに、惜しまずに、いつかだれかの手のひらの上に、ぽん、とのせるのだ。これはきれいごとだろうか。

わたしは自転車で坂を駆け上がりながら、そんなことを思った。

公園のベンチに佇む。ポケットから飴玉をとりだして空にかざすと、ミルク色とさくら色が青の背景によく映えた。

そこには春があった。


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