見出し画像

私と本

 ここ数日、本屋に入り浸っている。本を買うわけでもなく、立ち読みするでもなく、書架を廻るだけ。面白そうな本棚に行って、左上から右下までひたすら本の背表紙をたどる。題名を見ていたり、筆者を見ていたり、それはまちまち。気になるものがあると引き出してみて、表紙をじーっと眺める。目次を見たり、ぱらぱらめくったりして、元の場所に戻す。それをひたすら繰り返して4時間くらい本屋にいる。なにしてんの?って思うでしょう。私も思う。時間の使い方下手だなって。今日はその話。

 私の読書家ぶりは小学生時代が(今のところ)ピークで、中学高校とあがるに連れてあまり読めなくなった。忙しかったり、疲れていて何もしたくなかったり、思春期特有のもやもやがあったりして、本に浸る余裕がなかったから。まあ、よくあることだと思う。大学生になって、自分で好きなことをする余裕ができて、また本が読みたくなってきた。小さい頃はひたすらファンタジーとか、SFとかを読んでいたけれど、今ならちょっと難しそうな本も読めたりする。考えるだけでなんだか楽しい。わくわくする。
 小学生時代の私は自他ともに認める本の虫だった。学校の図書室で年間250冊ほど本を借りて、全部読んで返していた。それとは別に区民図書館でも本を借りて読んでいたし、自分のお小遣いは全部本につぎ込んでいたからもっと読んでたんじゃないかな。あまりにもずっと本を読んでいるから母親が怒って、「1日3冊以上本を読まない」っていう決まりをつくった。その時は悔しいやら情けないやらで大泣きして、夜ベットでにその日の出来事を反芻して改めて泣いた。今振り返ると相当面白い。

 小学生のときほど暇でも純粋でもないから、あの頃みたいにはなれない、とは思う。でも今でも私は本が好きだ。理由は2つ。1つは、本を通して新しいことを知ったり、経験したことのないことを想像したりできるから。もう1つは、本は私を放っておいてくれるから。1つ目に関しては、いろんな人が素敵な言葉で本の良さとして語ってきているから割愛する。読書は楽しいよねって話。2つ目について話したい。
 当たり前のことなのだけれど、本は私を放っておいてくれる。私は自分の内側で考えをこね繰回すところがあって、1つのことをぐるぐる考えすぎる。結論は単純ですぐそこに見えているのに、いやでもそうではないのかもしれない、私は全く間違えているのかもしれない、とぐるぐる突っかかっていく。なんだか自分でも面倒くさい。でも、どんなにもやもやしていても、気分が逆立っていても、本棚のかげに隠れて、紙の匂いをかいで、あの少し酸素が足りない空間にいくと、そんなぐちゃぐちゃはどこかに行ってしまう。まっさらな自分に戻って、ものを冷静に見つめることができるようになる。自分の中で響き渡るエゴの声もどこかに行ってしまって、本当の意味でひとりになれる。そんな感じがする。
 学校に、都会に馴染めなかった小学生の頃から、ずっとずっと変わらない本との関わり方。また関東に引っ越してきて、初めてのひとりぐらしを始めて、久しぶりに本に逃げ込んでいる自分がいる。本があってよかった。

 本を読んで、物語の世界に入り浸ったり、本の視点を使ってものを見たりすること。本に囲まれて、自分の中心に立ち返ること。この静謐で柔らかな時間を、なんのためでもない"ムダな時間"を、とても愛おしく思う。そんな私と本の話。


こだま
2020.10.2 家で訪ね人を待つ夜に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?