見出し画像

お金はあるのに、お金がない。

困ったことになってしまった。
お金はあるのに、お金がない。この先どうしよう・・・と途方に暮れている。

ひょんなことから今、ニュージーランドにいる。
そう、ニュージーランド。人口よりひつじの数が多いと噂の。羊はまだ、1匹たりとも見ていないのだけれども。

何もかもが日本と違う!かと思いきや、そうでもなくて。
見渡せば日産、トヨタ、スバルにスズキ。たくさんの日本車に囲まれ、ハンドルは右だし、走るのは左。街中を見てると、そう変わらない。

もちろん、喋っている言語は違うんだけれど、さすが移民の国だけあって、あちこちでいろんな言語が飛び交っている。

前を歩くカップルは韓国語を話しているし、後ろを歩く仲良し二人組は中国語。かと思えば右にはよくわからない言語で電話をしている男性、ようやく左からホームレスの英語が聞こえてきた。

とはいえ、驚くほどの違いもある。
例えば、物価。
ものすごく高い。もう、どう頑張っても高い。ものすごく高くて、ありえないほど高い。何も買えなくて笑っちゃう。


そんなわけで、強制的にお金のかからない過ごし方になってしまうので、図書館に行ってベンチでぼーっと雲を見ている。あれ?日本にいた頃とあまり変わらないな。


そして気づいた。


お金はあるのに、お金がない。


渡航前、銀行口座にはたんまりとお金を入れてきた。困らないよう、しっかりと入れた。

のんきな私を心配してか、家族が「海外は恐ろしいところよ!」とお餞別をくれたので、そのせいもあって、口座はもうそりゃ、たぷたぷに潤っている。本当にありがたい。感謝でしかない。

なので、渡航後の資金には困らないはずだった。
そう、完全にそう思っていた。
なのに私は今、お金はあるのに、お金がない。


日本の銀行口座にはたっぷりある。
ただし、どういう訳か、それをこちらの銀行に送金する術がない。

もちろん敗因は、自堕落で無計画な自分自身にある。
日本にいる間に手続きを済ませておけばよかったのだ。ところが私はその手続きが「マイナンバーカードがない」せいで、一向に進まなかった。

「だからあれほど作っておけと言ったのに」なんて友人たちは呆れ果てている。(私の記憶では一度も言われたことはない)

口座間の送金に関する手続きは、すべてオンライン上で行われる。あろうことか、私の全情報が記載された「免許証の裏側」まで読み取ってくれない。すみません、私の名前、住所、全部裏にあるんですけど。

まあ、ニュージーランド行ってからやればいっか。なんて甘い考えで渡航してしまったのが最後。もう私と日本を繋ぐパイプはゼロになった。困った。本人確認はできないし、銀行窓口にも繋がらないし。

完全に詰んでる。打つ手がない。
藤井聡太八冠でも「参りました」って言うと思う。

KAT-TUNさながらギリギリでいつも生きている私だけれど、今回は流石に情けなさすぎて、本気で「過去に戻れるスイッチ」を探した。


お金はあるのに、お金がない。
不幸中の幸いというか、クレジットカードで支払いが済ませられるのなら、何も問題はない。なんせ、日本の銀行口座はまだ底を尽きていないので。

なのに、だ。
お金はあるのに、お金がない。
この国で生きていく上で必要なお金が、手元に全然ない。




小さい頃、夏休みはいつもおばあちゃん家に遊びに行った。
夏休みまるまる使って泊まりに行き、海や山や川や、とにかく自然を満喫する小学生だったと思う。

その中でも一際私を夢中にさせたのが、海辺の砂を掻き集めて作る「お城」だった。

おばあちゃん家は砂の祭典で有名な地方だったので、小さい頃から何度も「巨大な砂のお城」を見てきた。
幼いながらに必死で真似をし、崩れるお城に適度な海水を混ぜ、強度を固める。

綺麗な海には目もくれず、屈強なお城づくりに朝から晩まで夢中になった。

そんなお城づくりで、最も緊張する瞬間が「開通式」だった。
トンネルのように穴を掘って、お城が崩れないようにあちら側とこちら側を繋げる。

指先を使ってモグラのように引っ掻いていく。爪の間に砂が溜まっていく。掻き出された海水は行き場を失い、ちゃぷ、ちゃぷと黒い土の中で揺らいでいる。生あたたかい温度で。

あと少し、もう少し。
ふっと冷たい空気が流れると同時に、堰を切ったように海水が溢れ出す。ドバッと勢いよく、あちら側から、こちら側へ。

溢れ出した海水に触れた指先は、ひどく冷たい。耐えがたい幸福感を指先に感じながら、束の間の安堵に襲われた。


あちら側からこちら側へ流れ出る海水のように、あちらに置いてきたお金を、こちらへ届けたい。あちら側の水とこちら側の水が繋がったように、この国で生きるお金を繋げたい。

私がいま欲しているものは、紛れもなく安堵感だと気づいた。


思えば旅行に出るときはいつも、金銭のやり取りを経て初めて「ああ、こんなに遠いところまで来たんだ」と実感していた。

その土地でお金を使って初めて、その土地と繋がれる気がする。外国だったらなおさら。その国のお金を使って初めて、私はとんでもなく遠いところまで来たんだ、と知ってしまう。

見慣れない景色を見ることや、初めての食べ物に出会うことももちろん「こんなに遠いところまで来たんだ」と知るには十分。

けれども、お金のやり取りがあって、初めて実感として体の芯にストンと落ちる気がする。

おもちゃみたいに軽くて、ペラペラで、なんだか笑っちゃうようなお金。だけどずっしりと重たく、未知数のような尊さを感じる、外国のお金。

そんなお金を手にして初めて、それを手放して初めて、私はその国と繋がれる気がする。そして実感する。むこう側から、こちら側に来たんだと。

繋がることは、安心できること。

ニュージーランドに来てから、二度目の火曜日が過ぎた。
私はまだこの国と、繋がれていない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?