NZ life|かくれんぼ
ニュージーランド生活46日目。
天気あめ。気温18度。蒸し暑い気もするし、肌寒い気もする。
今日はクリスマスだというのに、全然パッとしない。
天気がよろしくないのだ。肌にまとわりつくような霧雨が広がり、空は厚い雲に覆われている。
「ニュージーランドのサンタさんは半袖を着ていて、サーフィンをしながらやってくる」というけれど、こんなにもパッとしない天気なら「まあ、今日はやめとくか」となってしまうに違いない。
私がサンタさんなら今日は家でゆっくり過ごすと思う。
大好きな冬を手放してまで南半球にやって来たというのに、正直これにはガッカリ。
日本にいるみんなからはキラキラと眩しいイルミネーションや、雪が降っている窓の外の景色が送られくる。うらやましい限り。
きっと、日頃の行いがよくないのだろう。
自分自身を見つめ直すいい機会だと思って、甘んじてパッとしないクリスマスを受け入れることにする。
昨日は午後からキッズたちと遊んだ。雨が降っていたので、室内でできる遊びをしよう、とかくれんぼをすることに。
いつもキッチンタイマーを1分にセットして、その間にこどもたちが隠れる。
タイマーが鳴ったら今度は2分にセットし、鳴ってしまうまでに私が彼らを見つけたら私の勝ち、見つけられなかったら私の負け、というシンプルなルール。
隠れていいのは、家の中だけ。外に出るのはアウト。そうは言ってもニュージーランドの一軒家はとてつもなく広いので、2分で探し切るのはかなり難しい。いつも走り回って探す。
私も小さい頃にかくれんぼをしてよく遊んだけれど、日本における集合住宅でのかくれんぼなど高が知れている。
あっという間に見つかってしまうので、押入れの布団と布団の間に身体をギュッと押し込んだり、洗濯物カゴに入って頭から洗濯物をかぶったり、など工夫して遊んでいた。
あれはあれで創意工夫があって、とても楽しかった。
制限がある方が本当は楽しいのに、大人になったいま、そういう楽しみをすっかり忘れてしまっている。
はてさて、ニュージーランドのかくれんぼは規模が大きいので、クローゼットや戸棚など、隠れるところは無限にあるし、そのどれもが十分に広い。
「ここにはいないだろう」なんて思えるところが少なくて、私はいつもキッチンのシンクの下の扉まで開けて探し回っている。(実際何度かそこに隠れているのを見つけた)
手を抜いて適当にあしらうのは大変に失礼なので、それだけは絶対にしないけれど、簡単に見つけてしまうと、それはそれで拗ねてしまい、結局手を焼くことになる。
その加減もまた難しいし、おもしろい。
ときどき本当に「どこにいたの?」と思うくらい、気配を殺して隠れ通すこともあり、そういう場所に限って「教えなーい」と秘密にされる。可能性は無限大らしい。
そんな感じで日々繰り広げられているかくれんぼも、正直少しマンネリ化してきた。
だってもう隠れるパターンが決まってきたから。かくれんぼしようよ、と言われたとき、ついつい「またか」と思ってしまったことはここだけの秘密。
ところが昨日は「かくれんぼしようよ」と言って来たのに、すぐに走り出すことをせず「はい、隠れて」と告げたかと思うと、目を閉じて数を数え始めた。
え?もしかして、私が、隠れるの?
うそ、聞いてないよ、と慌てふためく私をよそ目に、数を数え続けている。咄嗟に思いついた場所に走って向かい、音を立てないように身を隠す。
スーツケースや使わない家電を収納している戸棚。大きめなので、私でもすっぽり入る。
隅っこに体育座りをして、カモフラージュのスーツケースを横に2個並べる。見えないように頭を腕の中に入れると、目の前が真っ暗になった。
とても静か。
何も聞こえないし、何も見えない。
目を開けているのか、それとも閉じているのかさえわからない。
真っ暗闇の中に座ってじっとしていると、なんだか眠くなってきた。
耳をすませると、微かに洗濯機の回る音が聞こえてきた。
鬼としてしっかり数を数えている弟は、37だったか38だったかわからなくて、30からやり直している。
ずっとここにいたいな。自分の体温だけを感じて、なんだかとても落ち着く。
誰にも見つからないまま、ここに座り込んでいたい。いつまでも隠れている私のところへ知らない誰かがやって来て、どこかへ連れて行ってくれるかもしれない。
みいつけたって手を引いて、知らない世界に連れて行ってほしい。
ご飯の時間になっても出てこなくて、そしたらきっとお母さんとお父さんは、私のことを必死になって探すに違いない。
37だったか38だったか分からなくなって、そのまま数えるのをやめてしまった弟は、大嫌いなブロッコリーを箸で転がして遊んでるに違いない。
ずっとここにいたい。このまま隠れていたい。
遠くで「もういいかい」と聞こえた気がした。