少女は夢をみる…
少女には必要なのだ。
あまい夢が。
カラい現実をすこしの間忘れさせてくれる、優しいおとぎばなしが。
…少女でいたかった。少女でいられなかった。
150万円の借金を負った。
毒親から逃げだすために遠方に進学した奨学金と、軽自動車のローン。
そもそも、少女マンガを読むことは許されなかった。男子に生まれなかった私は、母の「失敗作」だったから。
親戚からおさがりでもらった雑誌を、むさぼり読む。
みんなが話題にするマンガを、リアルタイムに読むことはできなかった。
図書館で、古い少女マンガをこっそり読んだ。
だから、ときどき少女マンガを読みたくなる。
架空の恋愛話を、ニヤニヤしながら楽しみたくなる。
恋愛をしようとは思わないけれど、恋をする気持ちや生殖本能に近い部分だけは生き残っているらしい。
誰かをすきになりたい。
愛したい。
そして相手から愛されるというのは、究極のファンタジーである。
実現しないことを、知っているから。
自分はもう若くないので、年齢層が高めに設定された作品や、現実の苦さを加味したものを選んでしまう。
芦原妃名子作品は、そんな要望にぴったりだった。
『セクシー田中さん』の試し読みが止まらなくなり、購入して一気読みしてしまった。
私はハーレムの分厚い資料本を持っているほどエキゾチックな雰囲気が大好きで、ベリーダンスも好きだったから。
主人公の田中さんは、一見さびしい女性にみえる。
地味で化粧けもなく、40才で結婚を諦めている。
しかしピュアな乙女心は残っていて、イケオジ三好さんをひそかに思っていたりする。
そんな田中さんは、自分の価値に気づいていない。
彼女は高身長で、スタイル抜群だ(それだけでじゅうぶん、ウラヤマしいのだが)。
両親に慈しんで育てられた育ちの良い娘さんであり、語学を学ぶ才女でもある。
しかしバリキャリというほどトンガっておらず、淡々かつ猛スピードで経理をこなす。
田中さんは、婚活市場で売り物になることをはなから諦めていた。
しかし、受胎可能なことや家事能力だけが女性の価値ではない。
価値とは、人としての存在価値である。
田中さんのベリーダンスにとりくむ真摯な姿勢や、心の美しさが次第に周囲の人間を変化させてゆく。
最初に田中さんの魅力を発見したのは、二十代の同僚・倉橋朱里である。
女性による、女性の価値の再発見である。
負け組の代表格のごとき田中さんを、一見勝ち組に見える朱里が応援するという、逆転現象が新しい。
朱里は若さや可愛さといった神通力が永続しないことを悟っており、有利なうちに市場で売り抜けようと考えていた。
父がリストラされ家計をやりくりする母親に「妹もいるんだから、あなたは短大でいいでしょう」とあしらわれ、朱里は深く傷ついていた。
誰かに、大切にされたい。
色褪せない価値あるものを、手にしたい。
切実な願いである。
年齢に関係なく挑戦できるベリーダンスの世界に飛びこみ、まじめに練習する田中さんはめきめきと上達してゆく。
ダンスを観るのが大好きなのに、イベントで踊って指をさされて笑われた経験しかない私には、それだけでもじゅうぶんにファンタジーである。
緊張感の強い田中さんが、三好さんの打楽器の隣で堂々と、しなやかに踊れるのだもの。
でも、そうでないとつまらない。
リアルの自分みたいに怯えてガチガチのままだったら、ドキドキする事件なんか起きない。
長いこと非正規雇用だったから、がんばってお金を貯めてもたかが知れている。
転職しても、収入がさがるだけだ。
だって、まわりの女性はもっと苦労してる。
ボーナスなんかなかったり、アパートを借りるお金もなかったり。
そんな灰色の壁を見つめ続ける日々にうんざりしているから、少女マンガを読むときぐらい非現実をたのしみたい。
そういう人が、『セクシー田中さん』に救われていた。
…老いた少女は、夢をみる。
牢獄のような塔の一番底で、壁の高さにため息をつく。
乾いた手に雑巾を握り、この世の汚穢を拭いとる。
天井の割れ目から覗いた空の青さに、幻をみた。
一瞬だけ、白い鳥が駆け抜けたような気がしたのだけれど。
ああ。
あの鳥はきっと、自由になれたのだ。
少女はいまも、夢をみる…
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