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【小説】地平線の向こう


佐久間陸は神童だった。その並々ならぬ知識と探究心は度を超えていて神童であった反面、変わり者と呼ばれたりもした。

この物語は陸が五歳の時、家にある掃除機の魅力に取り憑かれるところから始まった。

パワフルな音、くるくると回るモーター、スタイリッシュな見た目、コードレスなのもかっこよかった。あんなに楽しい物であるにも関わらず、さらに家を綺麗にすることも出来るなんて。こんなにエンターテイメントに溢れた家電が他にあるだろうか!

いや、ない。陸はそう確信していた。

なんとかして掃除機の中身を見てみたい。どんな構造をしていて、あの音はどこから出ているのか、モーターは何を使っているのか、ネジは何本使われているのか、陸はそれが知りたくて知りたくて堪らなかった。

その頃、陸がハマっていたのが、かの有名な日光電機のパルフHDE32-58という型の掃除機だった。とにかくフォルムがかっこいい。2005年に発売された軽量モデルで、コードレスなのにパワフルで、圧倒的な吸引力が売りの商品だった。



陸が初めて自分のお金で掃除機を買ったのは小学校四年生の時だ。その年は誕生日のプレゼントもクリスマスのプレゼントも我慢して、代わりに商品券をもらった。それまでために貯めたお年玉とその商品券を合わせて、使う用、鑑賞用、壊れた時用として、大盤振る舞いで三台同じ掃除機を買った。

もちろん購入したのはあの憧れのパルフシリーズだ。その頃にはもうHDE32-58型は売っていなかったけれど、陸は舞い上がる気持ちを抑えることが出来なかった。一台は箱から出さずに大切にクローゼットにしまって、二台は用意しておいたスペースに綺麗に並べた。色は黒とライトグレーのふたつ。観賞用が黒で、使う用がライトグレーだ。これだけは譲れない。

この頃の陸は、というか、この頃の陸も小学校では誰とも話が合わなかった。陸くんは掃除機の話しかしない、とよく言われたものだった。

当たり前だ。
佐久間陸は寝ても覚めても掃除機にしか興味がないのだから。

不思議なのが掃除機にしか興味がない割に、勉強は出来たことだ。授業で一度聞いたことは忘れないし、教科書で一度読んだことは大体覚えている。テストには授業で聞いたことと教科書に書いてあることしか出ないのだから、陸にとって満点を取ることは難しいことではなかった。掃除機にやたら詳しく、毎回満点を取る神童。または変人。それが陸だった。




だけれど小学校生活もそう悪いものではなかった。掃除機好きが高じて、テレビ番組に出演したことがあるからだ。

特定の分野に詳しい子どもたちを一同に集めて知識を披露したり、褒め合ったり、クイズを出題したりする番組で、陸と同じ小学生の子から中学生の子まで総勢30人くらいの子どもたちがいた。落語が好きな子や、やたらと貝に詳しい子、ジーンズ博士なんかもいた。

陸は掃除機博士として、家電に詳しい芸人と家電量販店で最新型モデルの掃除機をあれもこれも試してみたり、好きな掃除機について永遠と話したり、あの日光電気の工場見学に行き、その知識と熱意を買われ、最後には社長から「大人になったらぜひ我が社に入社してください」とまで言われた。

なんて素晴らしい日なんだ!と陸は子供ながらに感動した。誰ひとり、「陸くんはおかしい」「陸くんって変だよね」などとは言わなかった。掃除機について何分でも話しても良いと言われ、話せば話すほど、まわりが感嘆の声をもらしてくれた。


楽しい。楽しくて堪らない。
陸はこの時のことを絶対に忘れない、と人知れず心に誓った。




大学で工学部に入り、半導体工学や環境エネルギーについて学んだ陸は、今、あの日光電機の本社前にいる。

ただいるだけではない。
今日は、待ちに待った入社日だ。

「大人になったらぜひ我が社に入社してください」

そう言われた日から、この日を待ちに待ち侘びていた。楽しみすぎて、用もないのに何度か本社の1階に入っているカフェで珈琲を飲んだこともある。


陸にとって、この会社以外で働くことは人生単位でみても考えられないことだった。どうしてもこの会社で掃除機の開発に携わりたかった。
どうしても、だ。




筆記試験はほぼ学生生活の復習というような問題ばかりで陸にとっては、容易いものだった。
1次面接の時に志望動機を聞かれて「御社の社長に大人になったら入社してくれと言われたので」と答えて、面接官を困らせたこと以外は概ね順調、計画通りだった。

きっと合格するはずだ、と信じてはいたものの、実際に内定通知をもらったときの喜びは何にも代え難いものがあった。

なんせ、あの、かの有名な、日光電機だ。
陸が憧れてやまない、日光電機だ。

陸は高鳴る胸を抑えて、もう一度時計を見た。息を整える。
行こう、と心の中で声がした。

そして、歩き始める。
陸の人生の中で最も偉大な一歩だった。


(fin)




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