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さらりとゆったり。

日本人は着物を着る。夏は浴衣を着る。

いい着こなしをしている人を評して「さらりとした着こなし」と言ったりするし、洋服屋の店員さんは「この服はゆったり着られますよ」と言う。

つまり余裕のある様子。

難しいことを簡単にやってのける人に対して「さらりとやってみせる」という表現もある。余裕をもって過ごせる場所を「ゆったりできる場所」と言ったりする。

おそらく。おそらくだがこれは日本人独自の感性だと思われる。たとえば女性K-POPアイドルを見ると、彼女たちはピタピタの衣装を身に纏うことが多い。彼女たちのダンスはキビキビとしたものが多いから、さらりとした雰囲気、ゆったりとした雰囲気は出ていない。

逆に日本のアイドルは坂道グループを中心にロングスカートであることが多い。坂道系アイドルじゃないとしても、彼女たちのスカートはやけにボリューム感のあるゆったりとしたものである。

松田聖子もそうだった。対照的な扱いを受けた中森明菜ですら初期はふわふわしていた。日本のアイドルがダンスを踊ればスカートがひらりと舞う。どこか余裕のある優雅でさらりとした印象。


日本人は余裕のある様を好む。
着物、浴衣のように。

最近はユニクロもオーバーサイズのTシャツを出している。私も着ることが多い。これもさらりとしてゆったりした印象を与えるのにひと役買っている。逆にピタピタのTシャツを着る男性は筋肉質であることが多く、どこか怖い印象を与える。


文壇にあがるような、注目されるような魅力的な書き手。この人たちも「さらり」としていることが多い。書く文章も話す言葉も話す様もやけにさらりとしていて、ゆったりとしている。つまり余裕がある。洗練されている。かっこいい。だから憧れる。




でも、それでいいのか? と思う自分がいる。

さらり、ゆったりという日本人古来の概念にあぐらをかいて、必死になることを恐れている自分がいる。一生懸命になって地面に這いつくばる姿を見せたくない自分がいる。


とか言いながらもさらりを捨てられない。

でも、さらりとしながら、ゆったりとしながらも、必死な自分でいたい。


さらりの対義語はなんだろう。「ねっちょり」とか「どんより」だろうか。陰湿だ。陰湿だから必死さを表現できてない気がする。とにかく必死なほうがいいんじゃないかと思っている。


この気持ちを表現するためにふさわしい言葉がなかなか見つからない。だから私は困ってる。

〈あとがき〉
文章からも「さらり」とか「ねっとり」っていう印象を感じることがありますよね。説明書的な文章はかたくてどんより。エッセイやポエムみたいな文章になるとさらりとゆったり。さらりとした中にあるその人の熱みたいなねっとりとしたものが読みたいし書きたいなぁと思う今日このごろでございます。今日も最後までありがとうございました。

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