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よかれと思って山本五十六。
だいたいの問題は、よかれと思ってやったことを原因にして起こる気がする。代表的なものは「コップを割る」という事象。
飲み終わったコップを洗おうとしたら、手が滑って床に落としパリン。よかれと思ってコップを洗おうとしただけなのに。
結婚生活をスタートして最初のころ、よかれと思って洗濯をして、よかれと思って洗濯物を干す。自分の干し方と妻の干し方はどうやら違うようで、家事のメインを妻がやっていたから「その干し方じゃない」とキレられた。
家事のやり方の口論は、結婚生活や同棲生活を始めた最初の数ヶ月、もしくは数年続くものかと思う。食器洗いもそうで、油汚れがきちんと取れていないのにしまうものなら、すかさず妻のチェックが入り、よかれと思ってやったことが妻の逆鱗にふれる。
暗く落ち込んだ人をよかれと思って励まそうと、すこしふざけた会話をすると「俺の気持ちを考えてくれよ」と言われてなんだかゴメン。
悩めるだれかの話を聞いて、よかれと思ってアドバイスをすると「いや、アドバイスは要らない。ただ聞いてほしいだけだから」と言われ、これまたゴメン。
家事の話、家事の衝突について書いたが、結婚生活も数年が経過すると、それぞれの家事のやり方に対してお互いに文句なんて言わなくなる。
すべての家庭がそうだ、とは言えないけれど、我が家の場合、結婚から4年が経過して家事の衝突はめっきりない。むしろ、よかれと思ってやってくれたことに感謝することが増えた。
これは非常にベタだが、山本五十六の名言を引用する機会な気がする。山本五十六チャンスの到来だ。
「やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず」
家族との関わり、他人との関わり、会社での関わり、すべての根底に流れるすばらしい概念。
山本五十六が何をした人なのかはキチンと知らないけれど、こういう概念を残してくれているということは、さぞかし人徳のある方だったのだろうなぁ。
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<あとがき>
山本五十六の言葉って「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」が有名な気がするのですが、これの続きを見てみると、あらゆる時代に適用できるGOODな考え方な気がします。最近、人を褒めてないかもなぁ。今日も最後までありがとうございました。
【関連】他人を褒めるということ
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