中島みゆきはなぜポプラの枝になるの?
自宅のお風呂を掃除しながら鼻歌を歌う。
昨日は中島みゆきの『空と君のあいだに』を歌いながらお風呂の汚れをオラオラした。名曲に乗せてオラつくお風呂掃除タイム。
『空と君のあいだに』は安達祐実主演のあのドラマの主題歌だ。記憶に新しい。私も見てた。
お風呂を掃除しながら「オラオラ〜これでも食らえ〜!」とハイターをシュッとやってゴシゴシして鼻歌を歌うのだけど「あれ? おかしいぞ?」と思うことがあった。
中島みゆきの『空と君のあいだに』の1番の歌詞、その一行目の意味がよくわからないのだ。
ポプラの枝?
君が涙のとき、なんでポプラの枝になるんだ?
ポプラの枝になってどうすんの?
そこからいくら歌い進めてみても、あの曲の中には「ポプラ」は出てこない。「ポプラ出てこねーじゃねーかオラ!」とまたハイターをシュッとやってお風呂をゴシゴシする。
【音源】空と君のあいだに|YouTube
そこでゴシゴシと考えてみる。
ポプラって、あのデカい木だよな。あれは北海道ならではの木なのかな。いや、たしか開拓時代にアメリカから持ち込まれた木だ。学校で習った。
北大とか美瑛とか、創成川通りとかにすげー巨大なポプラの木が並んでる。とにかくデカい。
悲しいかなこのポプラたち、北海道民はまったく関心がない。「あーポプラね、なんかあるよね」くらいにしか思われないナゾの存在なのだ。
あとポプラ、夏の初めは綿毛を飛ばす。
札幌中が白い綿毛で覆われる。
ちょっと迷惑だと思ってる。
そういや、中島みゆきは北海道の出身だ。札幌で生まれ育ち途中で帯広に行ったはず。ならば北海道のポプラへの親しみがあるのだろうか。あるということにしておこう。でも、なんで「君が涙のときには僕はポプラの枝になる」んだろう?
あの歌詞の解釈はおそらく......
「君が涙のとき」にポプラの枝に変身するということは「ポプラの枝」はなぐさめる役割、もしくは守る役割があるのではないか?
中島みゆきはやさしい人だから、そうだと解釈するしかない。
では、ポプラの枝には「なぐさめ」「守る」役割があるだろうか。
あるのである(タラ〜ン)。
ポプラは防風林に利用されるのだ。
たとえば、札幌市内の北区には「屯田」という地区がある。ここには直線距離にして約3キロにわたるポプラ並木の防風林が存在する。
それから、中島みゆきが高校までを過ごしたのは十勝の帯広市だ。
帯広は十勝平野にある街なのだけど、ここは酪農と農業が盛んだ。平野の規模としては実は全国3位である。関東平野、石狩平野、十勝平野の順番だ。とにかくデカい平野である。
そしてここに行ってみるときっと気づくはずである。防風林の多さに。
なぜなら平野がデカいということは風が強い。だから農地を強風から守る必要があるのだ。
おそらく中島みゆきはポプラの景色を見ていたのである。そうだとしか思えない。そうに決まってる! そうだということにしよう!
よし、これで歌詞の意味と背景の整合性がとれた。
つまり「ポプラの枝」とは泣いている君を守ってあげる存在ということになる。
しかしなぁ、この発想は思い浮かばない。ふつう、ポプラの枝になろうとは思わない。思い浮かんだとしても書こうとは思わない。
中島みゆきって、やさしいんだろうなぁ。
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