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90歳の女性に聞けないこと。
朝9時からの商談が30分でまとまり、次の10時からのアポイントまで少し時間があった。移動時間を考慮しても20分ほどの空白がある。札幌市内中心部にいた私は、デパートの三越の前にあるベンチに座ることにした。
前日までの雨模様とうってかわって快晴の札幌。
中心部といえど午前9時台とあって人通りはまばら。
「20分もあるしクソエッセイでも書くか」と思ってベンチでスマホを開く。が、noteを開くものの書くべき内容が浮かばない。あぁ浮かばない。どうしよっか、毎日投稿もそろそろ潮時か、と思っていたら、1人の女性が私に話しかけてきた。
「あの〜、三越はまだ開いてないんですかにぃ?」
目の前にいたのは見たところ70歳台の女性。髪の毛は黒くカーリーで、背筋はすっと伸びて、話し振りもはっきりしている。唯一気になるのは、語尾が「にぃ」であることだが、そこは個性だ。
「三越さんですか? 三越は10時に開店なんですよ」
「あぁ、そうですか、そうですか。久しぶりに来たんだけど、まだ開いてないみたいでにぃ。そうですか10時からでしたか」
三越のオープンまではまだ20分くらいある。幸いベンチには大人6人が座れそうなスペースがあったので「まだ時間がありますから、こちらへどうぞ」と私が言うと「それじゃ遠慮なく」と言って女性は私のとなりに座った。
ここから会話を繋げようかどうか迷っていたのだが、まぁここは繋げたい。
「久しぶりと言いますと、どれくらいぶりで?」
「いやぁ、もうコロナ前から来てないので、何年ぶりですかにぃ」
「そうですか。札幌も再開発でビルが新しいのが多いので、変な感覚でしょう?」
「いやそうなんです。前はあったはずのビルもなくなってにぃ」
女性はかなり久しぶりなようだ。
さらに会話を進めよう。
「三越にはどんな用事で?」
「いつも友だちからプレゼントをもらってばかりで申し訳なくてですにぃ。何か買ってあげたいと思って来たんです。もう90歳ですから、迷っちゃいますにぃ」
90歳!?
どう見ても70歳台に見える。信じられない。腰はまっすぐで杖もついていない。口調もはっきりしていて語尾はかわいい。
もう、素直なリアクションをした。
「90歳ですか!? ほんとですか!」
「そうなんです。昭和8年の生まれで、ずっと札幌でにぃ」
「ええ! 私の亡くなった富良野のひいおばあちゃんが83歳のときは、腰が曲がってフガフガ言ってましたよ。いやぁ、お元気ですねぇ」
「いやいや、もう若くないんですよ。でも……ここに1人で来れてるってことは、あたしも元気なのかしらにぃ」
元気ですよ!
すごいなぁ。
と思っていると、私の頭の中ではこんな計算式が成り立った。今は2023年。そこからマイナス90年すると……1933年。ってことは。太平洋戦争中の札幌を知っているということではないか!
き、き、聞きたい!
そんな計算をしている間にも、女性は喋り続ける。東京にいる息子さんのこと、神戸にいる娘さんのこと。子どもたちに迷惑はかけられないと思っていること。
そんな話を聞きながら、私としては太平洋戦争中の札幌がどうだったのかを聞いてみたいという欲求がむくむくと大きくなる。
が、
聞かなかった。
野暮というものだ。
9時55分になって、私は移動しなければならなくなった。女性も三越に向かう。
「もしも食べ物をプレゼントされるのであれば、三越地下街へ行かれるといいですよ」
女性は「ありがとにぃ」と言って三越に消えていった。
心の中では「エッセイのネタをありがとう」と思っていたことは、ここだけの秘密だよ。
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<あとがき>
すべての物事にはタイミングというものがあって、あのタイミングで太平洋戦争のことを持ち出すのは、無粋な話です。聞きたいなぁと思いながら聞きませんでした。にしても、現代の90歳台は元気だなぁ。今日も最後までありがとうございました。
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