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私の原動力


私の原動力は一体何なのだろうか。

そもそも、原動力なんてものが存在するのだろうか。


惰性で生きているだけじゃないのか。

偶然の重なりで生きているに過ぎないのではないか。


あえて私の原動力を考えてみるとすると、それは「分からない」と言うことになるのだろう。好奇心とも言い換えられるかもしれない。


なぜ生きるのか分からない。

なぜ死ぬのか分からない。

生きるとななんなのか分からない。

死とはなんなのか分からない。

五感とはなんなのか分からない。

現実とはなんなのか分からない。

分からないとはどういうことなのか。それももはや分からない。

どうなったら分かったと言えるのか。



そんな風に分からないことがとてつもなくたくさんあって、それらに答えを出すことはそんな簡単な事ではなくて。


でもそこに挑みたいと思ってしまっている私がいる。


でもその先が見えないから怖くなってしまう。


そこに挑んでいたい。苦しくとも考え続ける人生でありたいと願うのが私の原動力かもしれない。


しかし苦しい。なんといっても苦しい。

一歩進んだと思ったら、またスタート地点に引き戻されている。

そんなことばっかりだ。

それの繰り返し。


進んでいるようで進んでないみたいで、苦しい。


それが今の生き方だ。


じゃあ苦しいのなら他の生き方を考えてみれば?そういう声が聞こえてくる。

だけど、他の生き方が分からない。

私だって考えたくてこれらの問いを考えるようになったわけではない。

気付いたらこれらの問いとともに生きていて。消えてしまいたいって言う感情と生きていて。


こんな複雑でその問いの意味からして分からないような問いなんて生まれない方が良いのだろう。


でも生まれてしまったんだからしょうがない。

これと一緒に生きていくことを考えないといけない。



だから私はこれらの問いの中で踊ってみせることにした。

これらの問いを味方につけて、生きる原動力となる様に。


でも、本当の意味で見方につけられるようになるのはもっともっと先だろう。

ひたむきに頑張っていたいけれど、私の知的体力や気力はもつのだろうか。

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