良い子を演じる
私自身が考える一般的な価値観から今はちょっと距離を置こうと思うと楽になる。私が勝手に縛り付けている価値観や物差しに苦しめられているんだから。世間一般的な価値観を満たしていない人に憧れるし、なりたいと思っているんだと思う。でも堂々と「私はこんな風に生きています」と自分の言葉で言えないから苦しいんだと思う。世間の価値観と違っていても、言い切れたらそれは不幸な人生ではない!幸せなんだ!
他人には分からない私だけの好きとか、楽しいに今まで以上にどっぷりと浸りたい。
そう思いながら、邪魔をするもう1人の私。誰に対しても優しい「良い子」でいたいと言うと願望。本能。そうしていないと、私なんて愛して貰えないのかもしれないという恐怖。不安。
それってきっと幼少期の経験や記憶が関係している。親からの無償の愛をたっぷり感じて育った記憶のない私は、感情を素直に表現したり、その感情を受け入れてもらったと言うような経験が少ないことが影響してると思う。
自分の感情よりも、自分を評価する誰かの感情を優先しないといけないのではないか?って言う思考の癖だったり、自信のなさが、自分より他者の感情を先に感じ取り、優先させてしまう。私が本当に感じていた感情は心の奥底に封印してしまって生活していたと思う。
そんな自分の感情を押し殺す思考の癖がついてしまった私は、当然ストレスがたまらない訳がない。そのストレスはたまに溢れ出してコントロール不能なぐらいの怒りになってしまったのだろうと言う自己分析。
誰だって褒められたい。それは自然な事だけど、誰からも褒められる「良い子」なんて本来は有り得ないし、それには演技が絶対に入っている。良い子を演じていれば一時的な承認を得ることは簡単だけど、その承認は偽り。偽りの自分を承認されたって心の底から嬉しい訳はないから、満足出来ずにまた誰かから褒められるものを探してやらないと不安になる。
こうして書いていると、私は生きづらかったなぁ。と思わずにはいられない。泣けてくる。
他者の感情よりも自分の感情を優先する生き方をするのは、誰にも遠慮しなくても良い私だけの「好き」を見つけて楽しむことだと思う。
うつ病になる前には、他者からなんと言われても好きとか楽しいって言い切れる物があった。そんな熱中していた熱がいつの間にか冷めてしまった時に、次の新しい好きにシフトチェンジ出来ていたら病気になってなかったかもしれない。そんな過去の事を言ってもしたかないので、今から「好き」見つける努力をしたい。自分の為だけのもの。他の誰かのためではない、自己中の極みのようなものを見つけたい。
根源的な癒やしにつながるもの。うつ病になる前には確かにあったのだから、今からでも見つけられる!
アイドルでも、スポーツでも、旅でも、食べる事でも、本当に何でも良いと思う。
良い子を演じようとしない嘘のない私の物語を歩んで行くことが人生のなんだ。
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