主観と客観について
不勉強なので主観と客観の意味をそもそも理解していない状態で書いているかもしれないが、あくまでも思ったこととして書く。
概要
・友人から主観的といわれたが腑に落ちないので「客観」とは何か考えた。
・「客観的」という言葉には二種類の意味があるのではないか。
・二人称視点も三人称視点も主観も、時と場合で使い分けることが大切。
ひと月程前、友人と久しぶりに会い、話した。その際、お互いの性格が主観的か客観的かという話題になり、友人から見て私は「主観的」だということだった。自分は客観的に考えるよう意識していたので意外な言葉に「客観」という言葉の捉え方に興味が湧いた。
友人が言うには、私は相手の立場になって考えないところがあるから主観的らしい。
言われてみればコミュニケーションにおいては瞬発的に相手の視点になって考える(例えば、今から自分が相手にしようとしていることを自分が誰かにされたらどう感じるか、と一瞬考えを巡らす)ことは苦手かもしれない。そこは納得した。
だが、私は確かに主観的な部分も持ち合わせているかもしれないが、普段は自分も相手も外から眺め全体を俯瞰して考えることが多い。だから客観的な方だと思っていた。
会話を進める中で、友人のいう「客観的」と私の考えている「客観的」には意味に乖離があるように感じた。
「客観」には二種類の意味があるのでは?
ここで、客観には二種類の意味があるのではないか、と気づいた。
具体的には、客観的には二人称視点と三人称視点があるということだ。
まず二人称視点での客観性は前述したような「今から自分が相手にしようとしていることを自分が誰かにされたらどう感じるか、と一瞬考えを巡らす=相手の視点になって考える」視点である。これはコミュニケーション上で使われることが多いと感じる。
もう一つの三人称視点での客観性は、自分も相手もその他も全て外から眺め、全体を俯瞰する視点である。こちらはコミュニケーション上で使われることよりもビジネスであるとか、研究や論文などのように感情を一切介入させずに考える場合に使われることが多いように思う。
どちらも大切
自分が認識していたのは三人称視点の客観性だけで、友人のいう客観性は二人称視点を指していたということがわかり、あの時「ん?話が噛み合わないぞ」と思った原因がわかった。
この二人称視点の客観性も三人称視点の客観性も、そして主観も、それぞれに適した場面でバランスよく使い分けていくのが大切だなと思った。
最後に、この記事は筆者の主観である。
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