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ボランティアをする人は何故するのだろうか

 先日、学生時代の先輩が「ボランティアをやる人の気持ちがわからない」と話していた。その時は私も考えがまとまっていなかったため、わからないと答えてしまったが、その会話の後もボランティアをする人は何故するのか、ということをずっと考えていた。

 ボランティア活動をする理由には様々あるとは思う。もちろん理由なんてなく善意でやるという人は一定数いる。とても高尚なことだと思う。中にはそういう人ばかりではなく、内申書の成績になるから、履歴書に書けるから、好奇心から、みんながやってるから、などの理由でやる人もいるだろう。

「責任がない」というメリット


 そこで、ボランティア活動の一番の特徴である「無報酬」による志願者のメリットは何か考えた。そのひとつとして、志願者側に「責任がないこと」があげられるのではないかと思った。

 ボランティアをするメリットは、本来なら金銭等の利益を獲得することによって発生するはずの『責任』を負わずに、人からの称賛や敬意、感謝を得られることであると考える。
 仕事であれば、報酬に見合った働きや責任を求められる。失敗したら減給や解雇など責任を取らされる。

 ところが、ボランティアは活動しても金銭等の利益を受け取らないことで、例えばさぼっても責任は問われないし遅刻しても当事者が不利益を被ることはない(注意されたり、白い目で見られたりするかもしれないが)。失敗してもボランティアなので大目に見てもらえる。
 極論、ボランティアは善意で仕事をしてあげている身だから、何をしても感謝される立場である、と言えるのである。

 ボランティア活動には、何をしでかしても責められず、称賛され、社会貢献の実績が残るという安心感がある。しかも「無報酬」で活動することは、仕事への責任を負わなくていいというメリットだけではなく、志願者自身の株を上げる材料にもなる。一石二鳥である。

 責任が発生しないボランティア活動は、リスクを負わずに賞賛されたい人、責任を負う自信のない人(『自分の仕事で金銭を得るなんて申し訳ない』など自分に自信のない人)にとって実績と「やった感」を得るのに都合が良い。

責任を持って活動して欲しいなら

 たまに「ボランティアの責任感がないのが困る」「やる気のないボランティアが困る」と受け入れ側が言っている記事を目にしたことがある。私はこの意見はナンセンスだと考える。

 先ほどまでで述べたように、ボランティアは無報酬であることの副作用として、無責任でも責めることが出来ないという構造ができている。もし志願者全員に責任感を求めるなら、有償で雇わなければ叶わないと思う。有償で雇うということは金銭を与える代わりに労働者に責任を持ってもらう契約のようなものであると考える。

まとめ

 色々書いたが、言いたいことはボランティアをする理由のひとつには「責任を負わずに称賛される」メリットがあるのではないか、ということである。

 理由がなんであろうと結果として無償で活動してもらえる事実が大事であるので、ボランティアの受け入れ側にとってはボランティアの動機は関係ないことであると思う。受け入れ側もちゃんと働かないボランティアを拒否しても無報酬ゆえ責任を負わなくていい。

 偽善だろうがなんだろうが、志願者側と受け入れ側のどちらにもメリットがあるなら志願理由はどうでもいいことなのではないか、と書いてて思った。

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