見出し画像

vol.2「大事なことほど、1人じゃできない。」紀北健康センター・家崎仁成さん

この記事は、「しごとカード」に登場していただく“紀北町で働くひと達”に、地域おこし協力隊・豊川がインタビューしていくシリーズです。「しごとカード」は、企業情報だけでなく、紀北町でいきいきと働くひとが感じる「仕事のやりがい」や「紀北町の好きなところ」等も紹介します。

あなたは、どんな風に働きたいですか?どんなところで、どんな人たちと働きたいですか?
あなたが、自分に問いかけ、自分の中にある答えと出会っていく。そのきっかけに、この note がなれたら嬉しいです。


「きほくる|紀北町魅力ナビ」にお越しいただき、ありがとうございます。

今回の「しごとカード」インタビューにお答えいただくのは、2017年11月にオープンした紀北町営の健康増進施設・紀北(きほく)健康センターでマネージャーを務める家崎仁成(いえざき きみなり)さん。

奥様に「あんた、仕事変えすぎ!」と言われた、専門学校を卒業されてから現職に就かれるまでの紆余曲折のエピソードを交えながら、町のひとたちの健康増進にかかわる仕事についての思いを語っていただきました。

画像1

サーフィン・水害・介護施設


ーー今の仕事に就かれるまでの経歴を教えて下さい。

家崎さん(以下、敬称略) 昭和52年(1977年)生まれです。高校卒業後は紀北町を出て社会体育・スポーツ系の専門学校に行きました。卒業後は愛知県のスポーツクラブを運営する企業に就職しました。

研修を経て21才のとき、三重県志摩市の健康増進施設に行かないかと声がかかって、「好きなサーフィンができる!」と志摩市の施設への赴任を決めました。

ーー志摩に行かれたんですね。

家崎 はい、志摩市のスポーツクラブで健康運動指導士として働いていましたが、平成16年9月に地元・紀北町が水害に遭って…

その直後に娘が生まれたり、親戚が介護施設を始めるという話も出て、“このまま志摩市に住むのか、この先どうするのか”を考え始め、「いいタイミングなのかも…」と紀北町に戻ることを決意して、同年(28才の時)に紀北町にUターンしました。

ーー紀北町にUターンされてからはどうでしたか?

家崎 その後は、平成17年4月に、高齢者介護施設の「たいき」に就職しました。機能訓練を担当し、高齢者のトレーニングやリハビリをおこなっていました。スポーツクラブ時代は日曜日は必ず仕事でしたが、デイサービスは日曜日が休み。僕は休日や仕事が終わってからスイミングのコーチをしていたんです。

当時高2だった妹の東海大会を観にいったとき、決勝で泳ぐ三重県の選手を他の三重県チームが皆で応援していて「なんて清々しい世界なんだ!」と感動しました。それがきっかけで「自分に何かできることはないか?自分らしく、スイマーのためにできることは何かないか?」と自問し、トレーナー活動を再開したいと思い始めました。

コーチは、監督と協力して、安全で効果的な活動を提供する。
トレーナーは、スポーツドクターをはじめコーチ等との緊密な協力のもとに、プレーヤーの安全・健康管理、スポーツ外傷・障害の予防、救急対応、アスレティックリハビリテーション及び体力トレーニング、コンディショニング等にあたる。(公益財団法人 日本スポーツ協会HPより引用)


家崎 健康増進施設で働くスタッフのことを「健康運動指導士」とか「健康運動実践者」といいます。健康づくりの運動指導者ですね。それとは別に、アスリートをサポートするのは、AT(アスレティックトレーナー)といいます。僕は東海大会での感動をきっかけに、ATの力をつけていきたいと思うようになりました。

ーーATへの思いが強まってきたんですね。

家崎 同時に、介護施設の仕事でも、自分で立つことが出来なかったひとが筋力をつけて自分で立って歩いていく姿を見ると「もっと勉強しなければ」と思ったし、「ケガをさせてはいけない」という危機感もあり、仕事に対しての本気度が高まりました。「自分の仕事は、運動を通じてその人の思いを支援していくことだ。」と思うようになったのは、その頃です。

ーー家崎さんの仕事観・ミッションが明確になってきたんですね。

家崎
 明確になってきたのは良かったんですが、プロのAT(アスレティックトレーナー)としてやっていくには、医療の国家資格か日本スポーツ協会のATの資格が必要なんです。僕は鍼灸の専門学校に行くことも考えましたが、家族のことを思うと踏み切れませんでした。それでもなお、休日には都市部に出かけて勉強したり、国体に同行して経験を積むことを続けました。

画像2

うんうんと頷いていたひと


ーーAT(アスレティックトレーナー)の資格取得にむけて、経験を積んでいたのですね。

家崎 はい。僕が三重県水泳連盟でトレーナー活動を始めてから最初に行ったのが「のじぎく兵庫国体」、29才のときでした。その時にね、僕は、選手やコーチの前で「アイシングとはこうだ」「ストレッチとはこうだ」とか、講釈を言っていたんですよ。その時、一番うしろで「うん、うん」と頷いて、僕の話を聞いてくれてる人がいたんです。

当時、僕は大会同行には自費で行ってました。それを選手団の監督・芝原一平先生(尾鷲高校)が気遣ってくれて、「仁成くん、成人の部の選手と同じ部屋に泊まっていいよ」と言ってくれました。その夜、同室になったのが、僕の講釈をうんうんと聞いてくれていた人でした。

あとで知ったのですが、その人は愛知教育大学で運動生理学やスポーツ科学を専門にしている先生だったのです。僕は何も知らずに大学教員の前でベラベラと講釈を言っていた…あぁ、恥ずかしい。それが、その後の僕に大きな影響を与える寺本圭輔先生との出会いでした。

ーー運命的な出会いですね(笑)。

画像3


家崎
 寺本先生は大学教員とは思えないほど気さくな人で、選んできたキャリアが僕と似ていることもあって意気投合しました。寺本先生は選手、僕はトレーナーという立場なのに、翌日練習があるにも関わらず、朝5時まで熱く語ってしまったりして…いろいろと相談にも乗ってもらうようになりました。

そんな中、寺本先生や諸先輩方が、僕が日本水泳連盟のトレーナー会議に参加できるように、僕のことを「地域の水泳を盛り上げたいと思っているトレーナーがいる」と推薦してくれました。参加するのが難しい会議に、正式な資格がない僕が参加できることになりました。同時に、日本水泳連盟の合宿や日本選手権のサポート等に行けるようになり、トレーナー活動に更に力が入るようになりました。

ーー大きな前進ですね!

家崎 そうなんですけど、AT(アスレティックトレーナー)の資格取得の道のりは険しくて…受験をするための資格も必要なんです。資格は三重県体育協会の推薦をもらうこと、それも、その推薦は1年に1人しか貰えない狭き門なんです。その推薦と併せて、実績も必要でした。大変でしょ?

ーー1年に1人は大変ですね。

画像4

35才の夢、そして現実。


ーーそれでも、くじけずチャレンジしたのですか?

家崎 はい。僕はAT資格のために、29才から三重県体育協会に「推薦してほしい」と希望を出し続けていて…やっと、34才のときに推薦をもらうことができて受験資格を手に入れました。その後、都市部でおこなわれるAT養成講習と通信講座を受けて、2年後にATの資格が取得できました。

ーー諦めず、コツコツ努力した結果が出てよかった!

家崎 そうなんですけどね…念願だったATの資格が取れても、僕の中では「今のままでいいのかな」という思いがあったんです。

というのも、講師として講習会をしたり、寺本先生と一緒に行動することも増えてきて、段々と「教育」への関心が出てきていたんです。トレーナー活動も介護も健康づくりも全部含めて“自分”、自分の経験を含めて、これからは「伝えていく側」の人間になりたい!と思い始めたのが、35才ぐらいからでした。

ーーまた、新たな思いが!

家崎 そうなんです。寺本先生の元で勉強したい!と思って、37才のときに愛知教育大学の大学院に入りました。そこから2年間、大学院で勉強しました。

ーーまた学生になったんですか?!

家崎 そうなんです。最初の1年は、週に1日、介護の仕事の休みを貰って大学院に行っていました。そして、トレーナーやインストラクターを育成する専門家になりたい気持ちがどんどん強くなりました。2年目は介護の仕事を辞めて、単身赴任で名古屋に行き、専門学校の専任教員として働きながら大学院で学びました。

ーー紀北町をまた出たんですね(驚)すごいエネルギー!

家崎 自分の思いで突っ走ってはいたんですが、今振り返ると、一番しんどい時期でした。

ーー意外ですね。ノリノリの時期かと思いました。

家崎 思っていたよりも、状況が厳しかったのです。僕は、最終的には(安定的な雇用が確保されている)テニュアトラックの大学教員を目指して動いていたのに、その求人がなかなか出なかった。求人が出たとしても、自分のキャリアでは応募すら出来ない。応募できたとしても、同じ土俵には明らかに自分より優れている人材が並んでいる。そんな状況でした。

家族と離れて暮らしているしんどさ、目指しているところに達しないしんどさに加えて、年齢的にも限界を感じ始めていました。

画像5

あたらしい流れ


ーー限界を感じながら、その後どうしたんですか?

家崎 その頃(2016年)、帰省する度に紀北健康センター(以下、KKCと略)の工事がどんどん進んでいくのを見ていました。地元の盛り上がりも感じて、段々と「紀北町に帰って、KKCで働きたい」という気持ちが強まり、帰ることを決意しました。

ーーまた紀北町に?!

家崎 はい。そこからは怒涛の日々でした。自分の修士論文を書かなきゃいけない、学生たちの卒業発表もある、毎晩夜中の2時に寝られたらいい方で…そんな生活が11月から3月まで続きました。名古屋での活動を終えて、紀北町にUターンした時には痩せてました(笑)。町に戻って、KKCの設立準備に加わり、2017年11月にKKCがオープンしました。

ーーここまでのお話から、家崎さんの仕事のテーマは「体のこと」と「教育」だと感じましたが、いかがですか?

家崎 それもそうなんですが、高齢者介護でのひととの関わりも、僕の人生に大きく影響しました。

画像6

じいちゃん・ばあちゃんの一番の喜びは?


家崎 たとえば、施設の入居者さんたちが一番喜ぶのって何だと思います?

ーーさて、何でしょう?

家崎
 入居者さんが一番喜ぶのってね、面会が来たときなんですよ。駐車場に車が着くと、みんな、一斉に駐車場の方を向くんです。「わたしのところに来る面会じゃないか?」って。面会をすごく楽しみにしてるんですよね。

入居している年配のひとたちの話を聞かなければ、最期になにを思うか、余生で何を考えるかなんて、触れる機会がないですよね。おそらく、そこは大事なところかなと思うんですよ。家族とか、仲間とか、ひととのつながり、とかね。

ーー確かに、年配の方との関わりがないと触れない話題かもしれません。

家崎 それまでの自分の価値観って、サーフィンしたいとか、スキルを習得したいとか、給料が増えないかな、でした。それが、高齢者の方々と接するうちに「自分にとって、どんなことが大事なのかな?」って考え始めたんです。

「最後に残るものは何か?」
と自分に問うことで、自分の中の考え方が整理されていきました。大事なことは、意外とシンプルなんだなって。

画像13

僕のよろこび


ーー今の仕事の魅力は何ですか?

家崎
 30代の頃、ATとして強く影響を受けた言葉があります。

国際武道大学 トレーナースピリッツ
人のために尽くす
自己を確立する為の努力
幅広い知識と高い技術の習得
健全な心身に裏付けられた自信
人の為に
自分の時間をこれに捧げ
他人の命を守ろうとする行為に
誇りを持つ
決しておごることなく
絶えず努力を続ける
人に安心感を与える為に鍛えよ
そして…
強くなればなるほど
人に優しくなれる

この言葉を胸に「ATとして向上したい」と思って、いろいろやってきました。僕の支えになってくれたものの1つです。

この仕事の魅力は、「ひとの役に立てる」「誰かの思いに寄り添える」ってことかな。

利用者さんに「シェイプアップしたい」という思いがあれば、ヒアリングしてサポートして結果が出たら、自分も嬉しいですしね。自分が好きな仕事でひとの役に立てるって、それ以上のものはないと思います。


画像8

プール!プール!プール!

ーー紀北町で好きなところは?

家崎 好きなところ?うーん。。。プール!

プールが人生みたいなものなんです。相賀(あいが)小学校のプールから始まり、潮南(ちょうなん)中学校のプール、健康センターのプール、仕事場もそうですが、子供のころから、居場所はプールでした。ちなみに、嫁さんもプールで貰いました。仕事もプールの関係で広がったし、プール様様です。

だけどね、プールが好きなときばかりじゃないんですよ。嫌なときもいっぱいあるしね。でも、結局はプールの近くにいるんです。好きとか嫌いは超えているんですよね。

ちなみに、紀北健康センターのプール(写真)は、超ハイテクです!ろ過能力がすごく高くて、水がほぼ汚れないんです。メチャメチャ綺麗な状態なんですよ。ぜひ泳いでみて下さい!

ーー他に好きな場所はありますか?

家崎 最近、ふっと「あそこに行きたいなぁ」と思うのは、『道の駅 みやま』です。コーヒー飲みにね。ミニドッグも食べてね。あとはラーメンも好きですね。

画像9

画像10


大事なことほど、1人じゃできない。


ーー好きな言葉はありますか?

家崎 座右の銘みたいなものは無いんですけど、「おはようございます」と、あいさつが聞こえてくるのは心地いいなぁと思います。そう思うと、好きな言葉は「笑顔で挨拶」かな。

あいさつには“相手を認める”という意味合いがあります。

それって、僕らがしごとの中で大切にしていることでもあるんです。自分1人で出来ることって、限られていますよね。町に対してとか、町のひとに対してとか、大きなことを実現しようと思えば、当然、自分ができないことを誰かに助けてもらう必要がある。

そういうところでも、つながりって大事だと思うんです。大事なことほど、1人じゃできないと思うんです。お互いの理解がなければ、仕事そのものが成り立たなくなってしまう。そういうつながりを大事にした生き方をしたいです。

画像11


ーー今日のインタビューはいかがでしたか?

家崎 楽しかったです。自分の話をたくさん聞いてもらって、気持ちがリフレッシュできました。

ーー私もステキな言葉をたくさん教えていただいたので、これからに活かします。ありがとうございました。

【紀北健康センターマネージャー・家崎仁成さんの問いと言葉】
・自分らしく、できることは何かないか?
・自分にとって、どんなことが大事なのか?
・最後に残るものは何か?
・大事なことは、意外とシンプル。
・大事なことほど、1人じゃ出来ない。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回の紀北健康センターマネージャー・家崎仁成さんのお話はいかがでしたか?あなたの中にある仕事に対する思い大切にしていることを感じるきっかけになったら嬉しいです。

(取材先情報)  紀北健康センター    https://kihoku-kenko.com/
〒519-3406 三重県北牟婁郡紀北町相賀417-1 TEL:0597-31-0210

***

noteの更新情報は、公式LINE「きほくる|紀北町魅力ナビ」でお知らせします。友だち追加していただいた方には、紀北町の人気スポット「奇跡の清流・銚子川」のスマホ用壁紙をプレゼント。ポチッとしていただけたら嬉しいです↓↓↓

画像12

画像13

ID検索は @828azlot

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?