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vol.4「時間を無駄にせんと、出来るだけのことをした方がいいよ。」モンプティココ・オーナーパティシエ 原 加奈子さん

「きほくる | 紀北町魅力ナビ」にお越しいただき、ありがとうございます。

今回の「しごとカード」インタビューは、キャラクターケーキが大人気!モンプティココ・オーナーパティシエ 原 加奈子(はら かなこ)さん。

原さんは、高校卒業後、大阪で洋菓子作りを学び、三重県熊野市の洋菓子店で修行後、地元・紀北町船津で洋菓子店「Mon petit coco(モン プティ ココ)」を開業。

『好き』を諦めずに24歳という若さで独立開業に至ったエピソードや、お店をやりながらの出産・子育て、紀北町に住んでてよかったと思うところなど、可愛らしい笑顔と共に語っていただきました。

この記事は「しごとカード」に登場していただく“紀北町で働くひと達”に、地域おこし協力隊・豊川がインタビューしていくシリーズです。

しごとカードは、紀北町でいきいきと働いている人たちが「仕事との出合い方」「仕事の魅力や喜び」「紀北町のスキなところ」等を、これまでの人生のエピソードを交えながら、若い世代の人たちに向けて語ってくれたことをカードにしたものです。

あなたは、どんな風に働きたいですか?どんなところで、どんな人たちと働きたいですか?あなたが、自分に問いかけ、自分の中にある答えと出会っていく。そのきっかけに、この note がなれたら嬉しいです。

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1.ケーキにも絵を描けるんだ!


ーー今の仕事に就かれるまでの経緯を教えて下さい。

原さん(以下、敬称略) 昭和59年(1984年)生まれです。船津小学校、三船中学校、熊野市にある木本(きのもと)高校に進学、高校卒業後は大阪にある辻製菓専門学校に入学しました。

専門学校卒業後は大阪のケーキ店に1年ほど勤めた後、三重県熊野市にある洋菓子店『Mon image(もんいまぁじゅ)』に就職しました。そこでパティシエとして4年ほど働いた後、地元・紀北町に戻って『モンプティココ』を開業しました。


ーー三船中学校から木本高校に進んだのですね。


 はい。私は小さい頃から絵を描くのが好きだったので、美術を学ぶことができる木本高校の『総合学科』に進学しました。雑貨が好きで「美術大学に進学して、雑貨のデザイナーになれたらなぁ…」という思いがありましたが、「美大に行っても就職が難しいだろうな…」という不安もあり、進路に悩んでいたんです。


ーー元々、美大・デザイナー志望だったのが、なぜ、パティシエに?


 私が中学生の頃に、母は趣味が高じてパンやケーキのお店を始めました。そういう環境だったので、私にとってケーキ作りは身近だったんです。

パティシエを目指すことになる一番のきっかけは、高校生の頃に出入りしていた(のちに就職先となる)熊野の洋菓子店・もんいまぁじゅで『キャラクターケーキ』を初めて見たんです。そのときに「ケーキにも絵を描けるんだ!」「小さい頃から好きな“絵をかくこと”が活かせる!」と思って、パティシエの道に進むことにしました。

ここで言う『キャラクターケーキ』は、ケーキにキャラクターや似顔絵などを手書きで描いたものを指しています。

 専門学校卒業後は大阪のケーキ店で1年ほど接客をして、その後、もんいまぁじゅさんから「2号店を出すから、うちに来ないか?」と声をかけていただき、転職しました。

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2.オーブンが入らなかったので(笑)。


ーー24歳で独立開業されたとのことですが、どんな経緯だったのですか?


 そもそも、もんいまぁじゅさんは、私が独立することを前提で声をかけてくれました。修行期間はだいだい3年ぐらいかなとイメージしながら、熊野店と2号店の両店にパティシエとして関わっていました。


ーー独立前提での就職だったのですね。とは言え、20代前半で独立開業するって、なかなか勇気がいりますよね?


 そうなんですよ。いくら独立前提と言っても、いざお店を辞めて自分で開業すると思うとちょっと怖かったですね。そうこうしているうちに、もんいまぁじゅで働き始めて4年ぐらい経っていました。


ーーそこを「えいっ!」と独立に踏み切れたのは、何かきっかけがあったのですか?


 当時、お店で使っていたオーブンを買い替えることになり、「(使っている)オーブンを要らないか?」と言われて、私が貰ったんです。今、私のお店がある場所は、当時は父の車庫でした。その貰ったオーブンを車庫に入れようとしたら、入らなかったんです!

そして、オーブンを入れるために車庫を改装することになり、お店をやらざるを得ない状況になりました。もんいまぁじゅさんでは独立前提で修行させてもらっていたので、もちろんいつかは辞めたとは思うのですが、「独立開業のきっかけは?」と聞かれたら、「オーブンが入らなかったので、お店を開くことになりました。」ですかね(笑)。

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3.実家があったから乗り切れた。



ーーモンプティココが開店してからはどうでしたか?


 開店当初は、私一人で稼働していました。母は、自分のパン作りが終わってから私の作業を手伝ってくれましたが、それでも寝る暇がないぐらいの忙しさでした。父がその様子を見るに見かねて、手伝える人を探してくれて、名古屋のケーキ店の勤務経験がある人が見つかり、私のお店で働いてもらうことになりました。それが、今のスタッフさんです。


ーースタッフさんが来てくれてよかったですね!


 そうなんですが、その後、私は、結婚・出産と続いて怒涛の時期を過ごしたんです。


ーー開業後まもなく結婚、出産ですか?!


原 はい。24歳でお店を始めて1年後ぐらいに結婚して、出産は1人目が27歳のとき、2人目が28歳のときでした。


ーー年子ですね!産後はどうされましたか?


 産休は、それぞれ1ヶ月半取りました。


ーー産休中、お店はどうされたのですか?


 私が担当していたキャラクターケーキはお休みさせてもらって、他のケーキはスタッフが担当し、お店は営業しました。私は1ヶ月半休んで、その後は本格復帰しましたが、それも若かったから出来たんでしょうね。今の年齢だったらもっと休まないと復帰できなかったかも(笑)。


ーー自営業だから休んでいられないとは思いますが、それにしてもハードですね。力仕事もあり、稼働時間も長いでしょうし…それに加えて子育ても…


 はい。本当に大変な時期でしたが、両家の実家があったから乗り切れたんだと思います。地元で暮らす良さの1つは、実家の助けを借りられることだと思います。子育ての部分では、本当に助かっています。

近所のひとたちも親切で、「子守りしとくよー」って言ってくれて、本当に助かりました。地元の子育ては『みんなで育ててくれる』というイメージです。実家や地元の皆さんに助けてもらいながら、大変な時期を乗り越えて、今は子ども達も小学生になり、だいぶ落ち着いてきました。

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4.1年に1度のお誕生日に参加させてもらえること。


ーーこの仕事の魅力や喜びは?

 1年に1度のお誕生日に(ケーキを通じて)参加させてもらえることが本当にありがたいです。

ーー私、以前モンプティココさんに私の子どもの誕生日ケーキをお願いしたことがあるんです。ケーキの箱を開けた瞬間、「うわぁ、かわいい!上手!」と家族みんなで盛り上がったことを覚えています。

 ありがとうございます。そうやって、1年に1度の大切な日にうちのケーキも参加させてもらって、皆さんに喜んでもらえるって本当に嬉しいです。


ーーちなみに、似顔絵ケーキは手描きなんですか?

 はい、手描きです。似顔絵ケーキは、最初はやってなかったんですよ。実写は難しいし。でも「似てなくてもいいから描いてほしい」というご要望があって、始めました。写真を貰って、それを見て描いているのですが、出来栄えは似てるのと似てないのがあるんですよ(笑)。

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ーーキャラクターケーキは毎日描いているんですか?

 はい、毎日描いてます。ケーキ店は季節的に夏が閑散期なんですが、誕生日の方は毎日いらっしゃるので、おかげ様で毎日描かせてもらっています。ありがたいですね。

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ーーお店の名前の由来は?

 開業前に名付けを鑑定してもらったときに「『も』と『ん』を付けると良い。」と言われたんです。その後いろいろと調べていたら、フランス語で『私のかわいいぼうや』『私のかわいいたまご』という意味のモンプティココという言葉を見つけて、それに決めました。

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5.みんな、優しい。


ーー紀北町の「好きな場所」は?


 好きな場所は…既にどなたか仰っているかもしれないけど、銚子川(ちょうしがわ)ですね。


ーーー紀北町の「こんなところが好き」は?


 やっぱり、町のひとたちの人柄かな。お客さんも、ちょっと迷惑かけてしまっても優しくして下さいます。子育てもそうですね。近所の人たちも「子ども、ちょっとみててあげるよ。」って声をかけてくれるし。みんな優しいです。


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6.頑張って続けたこと、大変な時期を乗り越えた経験は、そのあとの人生の力になっていく。


ーー「好き」を仕事にしていったり、自分の思いを実現していくプロセスで「これは大切だな」と思うことはありますか?


 私の中学時代の部活はバスケ部でした。練習が厳しく、私はバスケがあまり上手ではなく、きつい3年間でした。そのきつい3年間を頑張って乗り切ったことが、自分の中では大切な経験になっています。私の長所は、気持ちの切り替えが早いところと根気強いところですが、その根気はバスケ部時代に養われたと思います。

パティシエは体力仕事で労働時間も長くて、辞めていく子が多いのですが、そんな中で、私は中学時代の経験が支えになって仕事を続けられました。どんなことでもいいので、頑張って続けたことや大変な時期を乗り越えた経験は、その後の人生の力になっていくと思います。

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7.時間を無駄にせんと、出来るだけのことをした方がいいよ。


ーー二十歳の頃の自分に声をかけてあげられるとしたら、何と言ってあげますか?


 専門学校が1年制だったので、二十歳の頃は大阪で働いていました。一瞬だったなぁ。何と言ってあげるか…うーん…「ほんまに時間を無駄にせんと、出来るだけのことをした方がいいよ。」と言ってあげたいかな。あの頃はあまり分からなかったけど、時間は本当に大切ですね。


ーーそうですね。若い頃の自分に言ってあげたいです!原さんのお話をお聞きしながら、仕事と家庭(子育て)を両立していく上で誰かに助けてもらうって、本当に大切だなと思いました。家族や地域で協力しあっていくのがいいですね。本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

【オーナーパティシエ 原 加奈子さんからのメッセージ】
・みんな優しい。地元の子育ては『みんなで育ててくれる』というイメージ。
・頑張って続けたこと、大変な時期を乗り越えた経験は、そのあとの人生の力になっていく。
・時間を無駄にせず、出来るだけのことをした方がいい。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回の モンプティココ・オーナーパティシエ 原 加奈子さんのお話はいかがでしたか?あなたの中にある仕事に対する思いや大切にしていることを感じるきっかけになったら嬉しいです。

(取材先情報)Mon petit coco (モン プティ ココ)
〒 519-3405 三重県北牟婁郡紀北町船津739-6 TEL 0597-35-0496
営業時間 10:00~18:30  定休日 水・日

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