私は残酷な人間です。
こんにちは。着ぐるみです。
優しさと残酷さって似ていて、他人の事も自分の事も許す寛容さって大切。でも難しい。と思いました。っていうお話です。
私の事を『とても優しい人』だと言って頂ける事があります。
それはとても光栄です。
でも自分の特性を考えると優しさと残酷さって紙一重で表裏一体だと感じます。
実際自分でも引くくらいの残酷さが私の中に存在している事を自覚します。
小さな事に目が行ってしまう
私の特性とは
周りの人の細かい変化(表情や仕草や声など)や場の空気を無意識に読み取って先回りして行動する事です。
もちろん全てを見通せる訳ではなくて先回りしたつもりがただの思い違いで空振りな事もあります。とんだ見当違いで恥をかく事もあります。
別に「他の人より先に気付きたい」とか意識しているつもりはないのですがついつい深読みしてしまうんです。
この特性によって誰かが困っている時に声をかけてあげたり、そっと手助けしたりできる事があります。誰かが誰かにしてあげた小さな親切に気付ける事もあります。
周りの人が言うには私はそういう能力に長けていると言ってもらえます。
「優しい!!」
「なんで分かったの!?」
「神様!」
なんて言われて悪い気はしません。
ありがとうございます!
でもね、人の困っている事や言って欲しい言葉、して欲しい事が分かるって事はむちゃくちゃ残酷にもなれるんです。
人が言って欲しくない言葉、されたくない事も分かるって事ですから。
口数の少ない私ですが、口喧嘩をしたら一言で相手の心臓をえぐり取るくらいのえげつない一発を放てるんです。
沸点20℃の苦悩
そして割と沸点も低くて、例えば電車で座る時にびっくりするくらいドスン!っと座る無神経な人を心の中では末代まで呪っていました。
同じく電車で言うと、混んできてもこれみよがしに足を組んでいる人が嫌いですし、満員電車で吊革に掴まれる位置なのに吊革を使わず他人に体重を預けながらスマホをいじる人も嫌いですし、人混みの中で長い傘を横持ちする人は大嫌いです。
他にも細かくあげたらキリがありません。
この『周囲に気遣いするべき、迷惑をかけるべきではない』という厳しい目は他人にも向きますが自分にも向けられます。
「迷惑をかけてしまった、自分はダメなヤツだ」「自分は楽しんでいるけど誰かの迷惑になっていないかな?」という具合に。
コレ、考え始めちゃうと楽しい事をしているはずの時でも全然楽しくないです。。。
小さな事に目配りできる優しさが裏返って、他人に厳しく残酷であるという事は同時に自分にも厳しく残酷という事にもなり得るんです。
自分に残酷になると地獄です。
言われたくない言葉や触れられたくない過去を誰よりも知っている自分が自分を攻撃するんですもの(泣)
他人も自分も許す努力
だから他人に対しても自分に対しても怒りの沸点を高く保つために許す事を覚えたいと頑張ってはいるんです。
↓こう考えるようにしています。
私が見て「無神経な人」と思っても、それはその人の1つの行動を見ただけであって普段は周囲に気遣える優しい人かもしれない。
友達との関係でもありますよね。優しくて大好きな友達なんだけどここだけは直して欲しい所とか。
そういう『直して欲しい所』をその人をよく知らない私がたまたま見てしまっただけかもしれない。
もしくは、その人が疲れていたり別の人にイライラして余裕がない時にたまたま出会ってしまっただけかもしれない。イライラは連鎖して周りの人のイライラも誘発してしまいますしね。
はたまた、その人と私で気を遣う(気になる)ポイントが違うだけかも知れないとも思います。
うちの夫婦で言えば妻は水回りの汚れが気になるようで掃除をこまめにしてくれますが机の上の整理整頓には無頓着で物がぐちゃぐちゃ散乱しています。私はその逆。
私も誰かに「もっと気を遣いなさいよ」と思われている事でしょう。
でもそれは相当な迷惑ではない限りお互いが大目に見ないと身動き取れなくなりますよね。
残酷な自分を退治する方法
それでもついイライラしてしまう事はあります。たくさんあります。
そんな時の私の対処法は『一日一善』。
意識的に善い行いをします。
例えば駐輪場で自転車を出そうとした人が隣の自転車を倒してしまって困っているのを見かけて起こすのを手伝ったりしました。
直接的な人助けをしてありがとうと言われなくてもいいんです。誰も見ていない所で道に落ちた空き缶をゴミ箱に捨てるでもいいですし、だるそうに接客するコンビニの店員さんににこやかに接する、という小さな事でも気持ちが晴れます。
「イライラのエネルギーをハッピーなエネルギーに変えてやったぜ。世間にはびこるイライラの連鎖を自分の所で絶ってやったぞ。世界平和に一歩近づいたぞ!」と大袈裟ですが爽快な気分になれます。
恨み節ではなくツッコミ
それと、瞬間的にイラッとした時は「このやろ〜」と恨み節を言うのではなくツッコミを入れて軽やかに発散するようにしています。頭の中でですが。
前述の電車の例で言うと、
ドスンと座る人には「ホテルのベッドで飛び跳ねるアメリカの子供か!」
足を組む人には「つま先尖ったカッチョいい革靴を見せたいんかい!」
人に寄りかかる人には「人間が柱に見える催眠術でもかけられとんのか!」
みたいな感じで。
ただ傘に関しては、階段で前の人が横持ちしてると顔のあたりに傘の先がきたりするので我慢ならずにペシッ!と手で傘をはたき落としたりしてしまいますが。。。大人になれなくて困り物です。
見て見ぬ振りではなくて、適切な対応の出来る寛容な大人になりたいと切に願います。
難しい事ですねぇ。
日々是精進。
サポートして頂けたら画材を買いたいです!