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「秘密の花園」を読んで、江戸時代の豪商の息子を思い出した話

こんにちは、ぱんだごろごろです。
いよいよ、息子の部屋のリフォームが始まりました。

今日は、朝8時半に工務店の人が来る約束だったので、
この日まで、手を付けずにおいた、息子のベッドの掃除をしました。
隣の部屋に移すのは、プロにお任せでも、
長年の埃は、こちらで取っておかなくてはなりません。

汗だくになって、掃除機とフローリング・ワイパーのドライシートで、マットレスの汚れを取り除きます。
あとはベッド全体を拭いて、解体を待つのみ。

そのタイミングで、リフォーム会社と、工務店から、二人のプロフェッショナルが到着しました。
夫が張り切って出迎えます。

あとはお任せします、ということで、1階に戻りました。
まずは水分補給。
ダイニングテーブルの椅子に座り、お茶を飲んで、ようやくほっと一息。
そこで、目に入ったのが、バーネットの「秘密の花園」の文庫本でした。

「#わたしの本棚」の記事の中で、
児童文学全集版の、「秘密の花園」を写真に撮った時に、
たしか文庫本もあったはず、と取り出しておいたのです。

手に取って、パラパラページをめくるうちに、あっという間に引き込まれました。

メアリー、マーサ、ディコン、コリン、動物たちに、コマドリに、庭師のベン・ウェザースタッフ、そして、薔薇の咲く花園。

何度となく読んできた物語ですが、何度読んでも面白い。

病弱なコリンは、イギリスはヨークシャーのムアー(荒野)にある、広大なお屋敷から、一歩も外に出たことのない暮らしをしていました。

そこへ、コリンにとってはいとこに当たるメアリーが、
両親がそろってコレラで亡くなり、孤児になったため、
コリンの父に引き取られることになり、インドからお屋敷にやって来ます。

虚弱体質で、いささかひねくれ者だったメアリーは、
ヨークシャーの自然の空気に触れ、庭で遊ぶことで、
心身ともに健康で健全な子どもに変わって行きます。

そして、メアリーを変えたムアーの自然は、
コリンをも変えずにはおかないのでした。

どなたでも、一度は読んだことのある物語でしょうし、
映画化もされている名作です。

この、「秘密の花園」を読んでいるうちに、
私は、ある少年のことを思い出したのです。

その少年の名は、

荒巻雅陳(あらまきまさのぶ)(1768~1815)。

江戸時代の豊後国ぶんごのくに杵築藩きつきはん(大分県)の豪商、荒巻家の跡取り息子です。
父が早世したため、まだほんの子どもだというのに、すでに家督を継ぎ、四代目の当主になっていました。

荒巻家は、豪商と言われるくらいですから、富裕な商家、
ところが、当主は代々短命に終わっています。

荒巻雅陳少年の父、先代当主の荒巻景徳は、雅陳少年が10歳の時に、35歳で亡くなっています。

何とか雅陳少年に天寿を全うさせたい、長生きさせられないものか、と考えた荒巻家の関係者は、
藩主からの信任も厚い、医師であり、学者としても名高い、豊後聖人ぶんごせいじん

三浦梅園(1723~89)

に相談したのです。

その要請に応えて、三浦梅園が著したのが、
健康に長生きする秘訣を説いた書物、

「養生訓(ようじょうくん)」

です。

三浦梅園は、杵築で、実際に、雅陳少年と会っています。
深い親交はなかったが、少年の曾祖父に当たる人から数えて、四代に渡る荒巻家の当主と面識のあった梅園は、
父と面差しの似通った、この数えで11歳の少年に、
何かあわれみのようなもの、痛ましいものを感じたのでしょう。

彼が長生きできるよう、生活の仕方から、心の平安の保ち方まで、
至れり尽くせり、言葉を尽くして、説き聞かせるようにして、
この書物を書いたのです。

その時、梅園は56歳。

雅陳少年は、どうやら、梅園の心尽くしの、この書物の言い付けを、よく守ったようです。
彼の享年は48歳(数え年)。
長生きとまでは言えないまでも、かろうじて短命とは言えない年齢まで生きました。
梅園先生も、知っていたらさぞかしお喜びだったでしょう。

先生が亡くなる前、
晩年の三浦梅園のところへ、雅陳青年は、ある頼み事をしにきます。
自分の邸宅に名前を付けて欲しいと言うのです。
梅園は彼の邸宅を「益亭」と名付け、
「益亭記」という一文(二百字強の漢文)を贈りました。

その内容は、富める者こそ、社会に還元すべし、というもの。
それによって、「富」も「寿」も両立できて、「益々」善いではないか、ということです。
ノブレス・オブリージュ(富める者、高貴な者の持つ責任)の心を、梅園先生は、雅陳青年に伝えたのですね。

もともと、荒巻家は、凶作の年には、藩からの要請で、民の救済のために、拠出金を負担するような家系でした。

雅陳青年はこの二年後に、
梅園先生の代表作、
日本の哲学史に残る書物である、
「玄語」「贅語」の出版費用を、弟子たちが募った際、
全出資者のうち、最高額を寄付しています。

梅園先生と、裕福ではあるが、短命な一族に生まれた少年との関わりを知ると、
何だか温かいものを感じます。


そうそう、この辺りで、コリンがなぜ、雅陳少年を思い起こさせたのかを書いておかなくては。

梅園先生が、「養生訓」で書いたのは、
金持ちの家の子は、身体を使わない、
自分の足で歩かずに、乗り物に乗る。
自分の手を使わずに、何でも召使いにやってもらう。
だから、身体が弱くなるのだ、ということです。

貧しい家の子のように、どこまでも自分の足で歩き、
着る物も粗末なものが一枚だけ、
食べる物も、常に粗食、
こういう暮らしをしている方が、健康にはいい、というのです。

これを読んで、私は、まっ先に、
「秘密の花園」の、コリンとディコンのことを思い出したのです。

裕福だが、病弱、わがままで、召使いを顎で使っているコリン。
貧しいが、健康そのもので、誰からも好かれ、信用され、ムアーの自然を体現しているかのようなディコン。

ディコンは、コリン坊ちゃんを気の毒に思い、
さりげない心遣いで、コリンを健康へと導きます。

梅園先生の教えは、まるで、コリンとディコンの姿を見ているようでした。

コリンはきっと丈夫な青年になったことでしょうね。

荒巻雅陳少年も、青年になり、壮年と言われる年齢まで、生き抜きました。

コリンも雅陳少年も、自分たちが恵まれた境遇に生まれたことを意識して、
社会のために、民のために、
自分たちの富を使ったことと思います。
(「秘密の花園」は、1909年刊行なので、二人の人生には、百年以上の開きがあるのですが)


二人の少年の人生を思い、しばしリフォーム工事の物音も聞こえなくなるぱんだでした。


この文章は、「三浦梅園『養生訓』」(発行 梅園学会)を参考にさせて頂きました。
「解説」の執筆者、矢野香代子さんに、心からなる感謝の意を捧げます。

今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
暑い日が続きますので、お身体をお大事に、ご自愛くださいませ。


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