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「反観合一」

巷では、愛情の反対語は、憎しみではなく、無関心だと言う。
愛することが、相手の幸せを願うことなら、憎しみは、相手の破滅を願うことだから、愛情の裏返しは、憎しみであろう。
ただ、愛情も憎悪も、いずれも相手への執着から来ている。
執着の逆は、その相手に何の感情も持たないこと、つまりは無関心である。
そこから考えれば、愛することの反対を、無関心であるとするのも、頷ける話ではある。

結局、ひとごととして終わらせるか、自分がもし相手の立場に立ったなら、と思いをふくらませるかによって、物事を見る目は大きく変わるのだ。

こんなことを考えたきっかけは、三浦梅園にある。
彼は江戸時代中期の哲学者で、その思想を「条理学」と呼び、彼の思想の中で、最も有名なものに、「反観合一」がある。
1723年生まれの彼にとって、来年は生誕300年に当たる。

300年の昔に生まれた彼が到達した哲学思想から、現代の我々が学べることは何か。
未来に生かせることは何か。
それこそが、「反観合一」だと思う。

三浦梅園は、「反観合一」のことを、こう説明する。
地球の、北半球にある国が春のとき、南半球にある国は、秋である。
地球上に、春と秋とが同時に存在するのだ。

一つのものの中には、反対のもの同士が合わせ含まれている。
二つのものは、もとは一つのものが分かれたものである。
ものを見るときには、ある一面だけを見てわかった気になるのではなく、必ず、その反対の面も見て、両方の面を合わせて見、考えるようにしなければならない。

これは、自然の仕組みを考えるときにだけ使う思考法ではない。
人間の生き方を考えるときにも使える。

人は皆、自分の立場からしか、物事を見ないものである。
自分にとって、善いことは何か、自分にとって、得なことは何か。
そんなことばかり考えている。
もちろん、それは、人の情として、無理もないことではある。
だがもし、自分とは別の、逆の立場に立って、物事を考えてみたらどうだろう。
町内会や理事会で、いつもあなたと意見が対立する人がいたとする。
あなたに、その人の立場に立ってみることはできないだろうか。

自分とは逆の立場に立って、考えてみること。
それが「反観」である。
自分の立場から考えたことと、逆の立場から考えたことを、合わせて考えてみること。
それが「反観合一」である。

対立で終わってしまうのではない、より良い未来を創るために。

「#未来のためにできること」


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