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大分・別府温泉の旅③<祝・三浦梅園生誕300年>

こんにちは、ぱんだごろごろです。
大分・別府温泉の旅行記も今日で完結です。


大分・別府温泉の旅③


前回の続きです。

大分・別府温泉の旅、二日目の午前中は、杵築市観光をしました。
きつき城下町資料館を振り出しに、サンドイッチ型城下町と言われる、杵築市を車で回り、所々で降りて見学。


城下町を一周し、杵築城を見に行ったあとは、再び城下町資料館の駐車場に戻り、そこでS氏とお別れしました。
ここから午後は別行動になるのです。
( もっとも、翌日の午後からは、また学会で一緒になるのですが )


S氏に厚くお礼を述べた後、夫と私はレンタカーに乗り込み、一路、別府温泉を目指しました。

大分・別府温泉の旅・二日目午後


その日の午後は、夫の希望で、別府温泉の地獄めぐりをする予定になっていました。


別府地獄組合のパンフレットより



別府温泉の地獄は、有名なものがいくつかあり、観光客の身としては、できるだけ効率的に、別府が見せてくれるものを見逃すことのないように回りたい。

ここでも、事前にS氏に、見るべき地獄を4か所、挙げてもらっていました。

<おすすめ地獄>
・海地獄
・血の池地獄
・鬼石坊主地獄
・かまど地獄


レンタカーのナビの地図から、血の池地獄から回るのが良いだろうということになり、まずは「血の池地獄」へ向かいます。

ついでにお昼も血の池地獄で食べようと、「お食事処 極楽亭」に寄りました。
私は「地獄の極楽カレー」、夫は「血の池バーガー」を頼みました。


極楽亭のメニューより



おどろおどろしい(かつ矛盾しているような)名前のお料理を、のんびり食べた後は、いよいよ血の池地獄へ。
真っ赤な大池から湯気がもうもうと立ち昇ります。
豊かな湯量に圧倒されました。


血の池地獄



ひとしきり奇観を眺めた後は、併設のお土産屋さんへ。
やっぱり湯の花 ( 天然温泉の成分を素にした入浴剤 ) は欠かせませんね。
お風呂の浴槽や風呂釜を傷めないと謳ってあるものも多く、義母や娘の分もと、たくさん買いました。


ところで、先ほどの血の池地獄のチケット売り場で、私たちは迷うことになりました。
推薦してもらった4か所を回るなら、個別のチケットを買えばいいのですが、もし、血の池地獄のすぐ近くにある龍巻地獄も寄るのなら、全部で5か所になるから、だったら共通チケットを買った方がお得だと、チケット売り場の女性に勧められたのです。


共通チケットで回れるのは、全部で7か所です。
こんな暑い日に、7か所も地獄を回るなんて、それこそ地獄だと思いました。
が、チケット売り場の中年女性は、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべて、
『1か所15分で見て、出て来てしまえばいいんですよ。回れますよ』
と勧めます。

1か所15分で出て来ていいのなら、かえって楽かも。

私は夫と顔を見合わせました。
お互いの顔には、「とにかく暑い」と書いてありました。

私たちの頭にあったのは、
①ここでチケットを買うこと
②4か所の地獄を回ること

でした。

そこへ、
③共通チケットを買えば、1か所15分で見て回れる
も加わりました。

夫は、チケット売り場の女性に、
『共通チケットを2枚』
と告げ、女性は頷きました。
心なしか、女性がにんまりしたように見えました。

その後は、
龍巻地獄

海地獄

美しいコバルトブルーの「海地獄」
「海地獄」の蓮池


鬼石坊主地獄


熱泥がぶつぶつと球状に沸いて出ている「鬼石坊主地獄」


かまど地獄

白池地獄

鬼山地獄

の順に、合計7地獄を回りました。

なぜ、4つの地獄を回るはずが7か所になったのか、私たちはよくわからないまま、鬼山地獄のワニたちに別れを告げて、別府温泉の宿へと向かったのでした。


大分・別府温泉の旅・三日目

三日目の午後1時から4時までと、四日目の朝9時半から午後4時までは、三浦梅園生誕300年記念学会が開催されるため、三日目の午前中は、国東市安岐町にある、「梅園資料館」を見学する予定にしていました。

例によって、大露天風呂から朝焼けの別府湾と町並みを眺めたあとは、モーニングビュッフェで至福の時を過ごします。

良い温泉と美味しいお食事、この組み合わせに勝るものはそうそうはありませんね。 

チェックアウトのために、忘れ物がないか確認しながら荷物を詰め、学会が開催される公民館ホールと梅園資料館のある安岐町へ向けて出発します。

梅園資料館を訪れるのは、5年前に次いで二回目です。
今回は、お知り合いのk様が、梅園資料館に寄贈なさった、ノーベル賞学者の湯川秀樹博士が即興で書いたと言う、『反観合一』の書を見ようと思って訪ねたのですが、あいにくまだ公開されていないとのことでした。

梅園の一生や思想が手際良く学べるビデオを見て、館内の資料を見て回っていると、資料館の職員で梅園学会員でもあるI氏から、梅園旧宅を見学しないかと誘われました。

前回は、梅園旧宅は、外から見るだけで、内部には入れなかったので、私たちは喜び勇んで旧宅へ向かいました。

I氏は、私と夫に、梅園旧宅の保存管理や修理の際の出来事などを話してくれながら、
『私はお墓が好きなんです』
とおっしゃいます。

そう言いながら上を見るので、三浦家のお墓を見に行こうと誘ってくださっているのだとわかりました。

日に三度、裏山の先祖のお墓に通ったという梅園先生。
健康のためという説もありますが、私としてはね、と言うI氏の説を聞きながら、銀杏が散らばり、巨大な蜘蛛が巣を張る山道を三人で登りました。

お墓に着いて、梅園先生初め、一族の皆様のお墓を見ながら、I氏が説明をしてくださいます。
興味深いお話に聞き入りました。

I氏の勧めで、私たちは、梅園資料館から上に登ったところにある、「梅園の里」の食堂でお昼を食べたあと、安岐町の公民館へ向かいました。

私を降ろしたあと、夫は宇佐市に行って、宇佐神宮を見学することになっています。

公民館に入ると、すでに恩師のO先生やS氏は到着していました。


▼第48回梅園学会のプログラム

無事に終了しました。ありがとうございました。


国東市では、三浦梅園生誕300年の今年、主に児童・生徒たちを対象に、さまざまな梅園関係の催しを開いています。
国東市歴史体験学習館での企画展には、杵築市のきつき城下町資料館から貸し出された資料も展示されました。



三日目の夜は、翌朝の9時半から学会が始まることを考えて、会場に近いビジネスホテルに泊まったため、夕食もその近くのステーキハウスで食べました。


大分・別府温泉の旅・四日目


旅の最終日、四日目の朝は、夫の運転するレンタカーで、再び前日と同じ会場へ。

学会が終わる4時まで、夫は国東半島周遊ドライブに出かけるのです。

・・・そんなに哲学の学会が嫌なのか。

前日、名高い癌の専門医と言うよりは、もはやトラベルエージェントと化してしまったS氏が、
『富貴寺は行った方が良いですよ』
と夫に勧めていました。

結局、夫は、両子寺ふたごじ富貴寺ふきじ豊後高田ぶんごたかだ市にある、昭和の町へ行って来たのだそうです。


両子寺(「ニッポン旅マガジン」https://tabi-mag.jp/より)


富貴寺 大堂(国宝)


豊後高田市の昭和の町(「リコー経済社会研究所」https://jp.ricoh.com/より)


一方、私とS氏とは、一日きっちり学会発表を聞き続けました。

討論会では、指名されたS氏は、慣れた様子でマイクを手に発言していました。
彼は梅園学会には初参加なのですが、そこは数々の講演会や医学学会で話し慣れているだけあって、質疑応答も堂に入ったものです。

とうとう最後の時がやって来て、梅園生誕300年記念学会は幕を下ろしました。

皆で椅子と机を片付けます。
あらかた終わったところでロビーに出ると、すでに夫がソファに腰掛けて私を待っていました。

恩師のO先生やS氏、梅園資料館のI氏ご夫妻に、お別れの挨拶をした後、レンタカーを返すために、私たちは大分空港へと向かいました。

なつかしい我が家へ帰り着いた時には、随分遅い時間になっていましたが、旅の高揚感はまだ続いていました。


無事に帰って来られました。
密度の濃い、楽しい旅でした。

皆様、ありがとうございました。

先週のお祝いボード


先週はお祝いボードを1枚、頂きました。
以下はその画像と対象になった記事です。

スキを付けてくださった皆様、どうもありがとうございました。



note公式マガジンへの追加のお知らせ


先週は、「大分・別府温泉の旅①<祝・三浦梅園生誕300年>」が、「国内旅行 記事まとめ」に追加されました。


これで、今回の旅行記も完結です。
随分長くなってしまいました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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