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大分・別府温泉の旅①<祝・三浦梅園生誕300年>

こんにちは、ぱんだごろごろです。
無事に、大分、別府温泉の旅から戻って参りました。

4日間のうち、前半は別府温泉に泊まり、温泉ライフを楽しみました。
朝と夜には、必ず露天風呂に入り、大浴場から眼下に広がる、別府湾と別府の街並みを堪能しました。


別府湾



大浴場には、カメラや、スマートフォンなど、撮影機能の付いた機器は持ち込み禁止のため、この大露天風呂から見る、朝焼けやご来光、夜景や中秋の名月を皆様にお見せすることが出来ず、残念です。


夕刻の大露天風呂(ホテルのホームページより)

食事は朝も夜もビュッフェスタイルでしたので、夜は最終の時間、朝はオープンと同時という、最も空いている時間帯を狙い、ゆったりとした食事を楽しむことができました。


ビュッフェレストラン(同上)


この時ばかりは、「節制」という言葉を忘れ、思い切り食べたいものを食べたいだけ食べました。
やはりね~、温泉に行くからには、良い泉質のお湯と、美味しいお料理というのは、セットなわけですよ。
お湯に入って、美味しく食べる、これが正しい温泉ライフの過ごし方ですね。


ビュッフェレストランのオープンキッチン(同上)


それと、これは、私だけかもしれませんが、温泉の宿では、夕食をどれほどたくさん食べても、翌朝には必ずお腹が空いているのです。

泊まった宿では、朝食の一番早い時間が7時でしたので、5時に目が覚めて、すでにその時点で空腹だった私は、まずは温泉に入りに行くことにしました。
最上階にある大浴場の露天風呂から日の出を眺め(一緒に露天風呂の縁に腰掛け、ご来光を待っていた女性たちは、太陽が姿を現すと、一斉に立ち上がり、喜びの声を上げていましたが、そこここから聞こえてくる言葉により、彼女らは円安で日本旅行を楽しんでいる、海外旅行客だということがわかりました)、朝サウナでリラックス。

部屋に戻ってからは、くたっとしながら水分補給をして、ゴロゴロ。
自分で朝ご飯の支度をしなくていいというのは、まさしく非日常で、至福の時ですね。
7時になるのを待ちかねて、レストランのある1階に向かいました。

通常、ホテルの朝食のビュッフェでは、調理スタッフが各人のリクエストに応じて、オムレツを作ってくれることが多いのですが、今回のホテルでは、オムレツではなく、エッグベネディクトを作ってくれていたので、二日とも夫ともども喜んで食べました。

飲み物も、通常はオレンジジュースを選ぶことが多いのですが、スムージーにしました。グリーンとオレンジの両方です。

パンはクロワッサンひとつにして、あとは中華粥と稲庭うどん、コーンスープにフカヒレスープ、温泉で蒸したという卵(別府温泉名物)にヨーグルトにキウイと葡萄。


ビュッフェレストランのメニュー(イメージ・ホテルのホームページより)


見事に無国籍料理のようなメニューになりましたが、とても満足しました。



1日目は、飛行機の出発が遅れた(羽田空港が混んでいたためと、鳥が多くて、追い払うのに時間がかかったためだそう)ので、昼食は手早く大分空港内のレストランで済ませ、レンタカー店で手続きをした後、直ちに、大分県立先哲史料館に向かいました。


先哲史料館(大分県立図書館に併設されています)

大分空港があるのは、梅園先生の生まれた安岐町のある国東市、そこから杵築市、別府市を通り過ぎて、ようやく大分市です。
高速道路を使って、1時間余り、目指す先哲史料館は、大分大学の近く、大分県立図書館と同じ建物の中にありました。


大分県立先哲史料館 展示室 

前もって予約をしておいたので、受付でその旨を告げると、3階に行くように言われました。

あらかじめ閲覧を希望する、三浦梅園に関する書画、書簡等の資料の名称と番号をお伝えしていたため、研究員の方が、それらを収蔵庫から出しておいてくれました。


収蔵庫内の様子(先哲史料館の紹介映像より https://www.youtube.com/watch?v=JDWldqlNkcM)


書画は木の箱に入れられ、温度管理などを徹底した収蔵庫で保管されています(同上)


3階の閲覧室で、それらの資料を机の上に広げ、一つずつ写真に撮って行きます。
念のため、二人がかりで、夫の一眼レフカメラと、私のコンパクトカメラの両方で、撮影しました。

この作業がかなり大変でした。
貴重なものという意識があるので、ただでさえ動作が慎重になる上に、時代を経ていますから、資料そのものに、しみや傷み、破れがあります。

一つの作品につき、一本の掛け軸で完了する絵や書はまだいいのですが、書簡(手紙)類になると、色々と問題が出て来ます。

一枚の紙の裏に別の紙が貼ってあるため、字が重なってよく読めなかったり、書簡をまとめたかったのか、一枚の紙に別々の書状を何枚もつなげて貼って、巻子かんす(紙を横に長くつぎ合わせ、その一端に軸をつけて巻物にしたもの)状にしてあったり。

つなぎ目でぴったり撮影することがなかなかできませんから、やっかいなのです。


コトバンクより

紐をほどいて、開いて撮って、巻いてしまってと、延々とその動作を繰り返します。

約2時間が経過したところで、やっとすべての資料を写し終えることができました。

研究書の口絵ページなどで、何度も見たことがある書画のほんものを、実際に目にした興奮は、口ではとても言い表せません。

すべての資料を箱にしまい終え、研究員の方々にお礼を言って、先哲史料館での作業は終わりました。

このためだけでも、大分に来る価値はありました。
けれど、三浦梅園生誕300年記念学会は、まだ翌々日に控えています。
この日の次の日は、午前中が、杵築市の城下町資料館、午後は別府の地獄めぐりをすることになっていました。

私たちは、レンタカーで、その日に泊まる、別府温泉の宿を目指して、大分市の先哲史料館を後にしたのです。


三浦梅園


*ちょっと長くなりましたので、2日目以降はまた次回に致します。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。



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