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還暦まで大過なく過ごせたことに「感謝」~千都子さんの【#note感謝企画】です

こんにちは、ぱんだごろごろです。

今日は、千都子さんの感謝企画に参加します。

この企画では、感謝する対象は、幅広く考えても大丈夫で、

・誰かに、何かに、自分に、何にでもいいので、感謝する記事を書いてください。

となっています。


なぜ、感謝する相手ばかりなのか?


正直、ちょっと考えただけでも、周りには、感謝するしかないお相手ばかり、

家族にも、友人にも、知人にも、もちろんnoteにも、

また、noteでお世話になっている方々や、親しくなれたnoterさんたちにも、

皆さん、良くして下さるので、

いつも感謝しています。


なぜ、こうなのか?

まさか、私がとびきりの善人なので、

皆が我先にと親切にしてくれるため、だなんて、

そんな都合のいい訳ではありません。


しょっちゅう間抜けな間違いをしでかし、

耳が老化のためよく聞こえないので、相手に聞き返し、

夫と息子から呆れられている私が、

なぜこうも良い人たちに恵まれているのか、と考えると、

やはりそれは、私が善人だからではなく、

好きな人としか付き合わないからではないか、

と思います。


突き詰めて行くと、ごく当たり前の理屈のようですが、

私も若い頃は、周りの人たちすべてとうまくやろうとして、

疲れ切っていた時期がありました。


嫁姑問題もありましたし(これは、姑の高齢化により、解決に向かいました)、

PTAや子供会の役員をやっていた時には、

本気で逃げ出したい、と思ったこともあります。


特に、職場の環境というものは、自分では選べません。

バックグラウンドも物の考え方も、人生に対する価値観も、

すべて異なる人たちと、

摩擦を起こさず、効率的に業務を行うのは、大変な作業でした。


それが、年を経てくると、

合わない相手、嫌な相手をかわす、ということができるようになってくるのですね。

何より、嫌な相手がいるからといって、

無駄に自分を責めなくなります。

合わない相手がいるのは、人間なんだから当たり前、

だったら、お互い消耗しないよう、うまく避けるようにしよう、という知恵が働くようになったのです。


とは言え、どういう方法を取っても、上手く行かない場合には、

ひたすら耐えたこともあります。


それが、還暦を迎えたこの頃になって、

生きるのが楽になってきました。


いやな相手が言うことは、聞こえない振りをして受け流す。

好きな人が言ってくれるお世辞は、真に受けて、思い切りお礼を言う。


こんな風にしているうちに、

周りには、感謝の言葉を言う相手しかいなくなっていったのです。


いえ、夫にイラッとすることはしょっちゅうですよ、

でも、お互い、老い先短いですし、ここまで連れ添ってきたのですから、

政府への悪口を言おうと、私が夫のスリッパを無断で履いた、と言って怒っていようと、

聞き流していようと思っています。

*私が夫のスリッパをつい間違えて履いてしまうのは、スリッパを履くときに、一々誰のスリッパかなんて確認しないからです。

そんなことに知力、労力を使いたくないので、見もしないで履くのですが、

夫にしてみると、私が夫のスリッパを履くと、スリッパが広がる、と思い込んでいるようです。

もちろん、私のよりも、夫の足の方が大きいのに、ですよ。

まあ、間違えて履く、ということは、ミスには違いないので、夫に指摘される度、謝罪はしています。

夫婦の間とは言え、感謝と謝罪を言葉にして表現するのは必要ですよね。


こうやって、60年間、

なんとか無事に過ごしてくることができました。

59才からは、noteを始め、より一層世界が広がりました。


ぱんだごろごろの人生


外から見たら、何とも平凡で、大きな出来ごとも、事件も何もないような人生――、

それが、私の人生だったのではないか、と思います。


特殊な才能があるわけではないし、特別な趣味があるわけでもない。

生まれた家も、ごく平凡な商家で、

両親も祖父母も、真面目に働く、普通の人々でした。


明治生まれの祖父母も、昭和生まれの両親も、戦争というものを経験しています。


私は、知りません。


母は、東京の短大に進学し、卒業後は、そのまま父とお見合いをし、結婚しました。

父は、日本橋生まれの江戸っ子で、五人兄弟の末っ子、

一人娘の母と結婚し、婿に入りました。

新婚当初は、東京の落合に、母の父(私の祖父)が買った家で暮らしていましたが、

祖父の健康状態が思わしくないと言うことで、

生まれてまだ間もない兄を連れて、名古屋に戻ります。

そこで、伊勢湾台風に遭いました。


私は、大きな自然災害に遭ったことがありません。


大きな事故にも遭わず、

大きな怪我も病気もせずに、

大きくなりました。


無知ゆえに恥を掻いたことや、不義理をしてしまったこと、

不用意に人を傷付けて、それに気付かず、後になって、胸をかきむしられるような思いをしたことなどは、

私にも覚えがあります。


学校に通い、就職をして、

お見合いで結婚し、子どもを二人授かりました。


この子ども達には、学校の成績問題で、ずいぶん苦労をさせられましたが、

それも、「平凡な苦労」

の範疇に入るのでしょう。


何の事件もない、平凡な人生でしたが、

何とか、人生一周するところまで、生き続けてまいりました。


還暦の年まで、大過なく過ごせたことには、感謝するしかありません。


去年から、全世界に蔓延しているウィルスによって、

私たちの日常生活は一変しました。


それでも、空襲によって、亡くなった人が隅田川にうち重なって斃れていたのを見た父や、疎開生活を送った母、

伊勢湾台風で、二階へ続く階段の途中まで、水が上がってくるのを見た、両親のような体験はありません。


この先、どんな状況になろうとも、人類の智慧を信じつつ、

ここまで無事に生かされてきたことを感謝し、

何か私にできることで、世の中に恩返しをしたいものと願っております。


最後に


▼千都子さん、企画の趣旨に合っておりますでしょうか。

自分のことばかり書いてしまい、

改めて自分の人生の平凡さに驚く結果となりました。

突出した能力も野心もなかった故だとは思いますが、

これも一つの人生の有り様と思って頂ければ幸いです。


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ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

あなたのスキ、コメント、フォローに、心より感謝いたします。



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