見出し画像

【き・ごと・はな・ごと(第3回)】萱の大蛇が町を練る―「蛇も蚊も」祭り

「蛇も蚊も」は、萱で作った20メートルもの大蛇を町内の子供や有志たちが担ぎ「蛇も蚊も出たけい、日和の雨けい 出たけい 出たけい」の声も高く、家々の軒先に蛇体を差し入れて町を巡る疫病除けの行事である。

伝承地の生麦(横浜市鶴見区)は、かって東海道神奈川宿の北側に位置する半農半漁の村落で、幕末にかの外人殺害事件が起きたことで知られる。臨海工業地の開発で周囲はすっかり面変わりしたが、戦災を免れたこの町の息づかいには心安らぐ懐かしさが漂う。

※      ※

6月1日、午後から「蛇も蚊も」の祭礼が行われる原町の神明社に着いたのは午前9時半頃である。早朝から集合した50人ほどの氏子衆たちが、境内に散乱した大量の萱草と格闘しながら、この日の主役となる大蛇(雄雌2匹)作りに奮闘していた。太いところで1メートルもある萱の蛇体をワラ草で括っていく作業は、かなりの力とコツがいるらしい。

祭りの由来は-今からおよそ300年前、この土地に蔓延した疫病を退治する手立てとして、氏神さまのスサノウノミコトにちなみ、萱の蛇体に悪霊を封じ込めて海に流し、悪疫を退散させようとしたことが始まりという。

藁と共に屋根葺きの材料でもあった萱は、この辺至るところに繁茂していた。大蛇を作る恰好な材料として思いつくのは、ごく自然なことである。そんなにも身近だった萱も今は全くみられない。3トンの萱を調達できる場所を探し、運搬してきてから一週間乾燥させる。それらの準備に一カ月かかるそうだ。

たまたまこの日、隣町の本宮町でも、道念稲荷神社で他日(今年は8日)の「蛇も蚊も」の準備に余念がなかった。今は別々に施行しているとはいえ、もとは一緒の祭り。こちらでの口伝によると-夫婦の蛇が住んでいた川を埋めたら、祟りかと思われるほどに蚊が湧いて疫病が発生した。祟りを静めようと行ったのが、祭りの始まりとか。また、夢枕で得たご神託が起因ともいう。何れも文献がなく確証もない。「日よりの雨けい」の掛け声から雨乞いのイミもありそうだ。祟り神、水を司る神としての竜蛇信仰の行事とも思える。

※      ※

原町の大蛇は11時半頃になって、ようやく完成した。菖蒲の葉で編んだ舌が入った頭部には、赤く塗られた貝殻の目、木の枝の角、ビワの葉の耳、木の尾が付けられ、なかなか愛嬌がある。ちなみに本宮町では耳も菖蒲だ。

ところで、祭りの期日が6月第一日曜になったのはごく最近で、もとは旧暦の5月5日の行事だった。蛇体にあしらわられている菖蒲は、菖蒲湯に代表されるように、全国各地に伝わる端午の節句の行事や風習にみられる共通項である。とすれば、この疫病払いは端午の節句にちなんだもの、そう確信したのだが、町の人達によると、どうもハッキリしない。そうである筈がない、と言い切る人も。たまたま日取りはそうだったが、なにしろ、これは大蛇祭りなのだから・・・ということだ。

※      ※

端午の節句に菖蒲で呪いをする風習は今から約1200年以前、聖武天皇の時代には既にあったことが続日本紀に伺える。薬玉にして吊るす、鬘をかぶる、社殿を葺くなど、始めは宮中の儀式用のもので、一般の風習にまで広がったのは平安期以降とみられる。菖蒲酒、菖蒲湯、菖蒲茶、枕、輿、帷子、髪や袖の飾り、手紙に入れる・・・など故事によると、ずいぶんバライテイーに富んだ使い方をしていたようだ。もともとの節句の行事には、季節の折り目の邪気祓と禊の意味がある。香りが強く薬効のある菖蒲に、人々は病厄邪悪を撥ね返す魔力を感じとったのだろう。

※      ※

菖蒲の強烈なパワーを語る象徴的な昔話として「蛇婿入り」と「食わず女房」がある。両者ともに蛇が人間に化けて押しかけてくるのだが、そのうちに蛇だということがバレてしまう。前者は蛇婿とその母蛇が「菖蒲酒、(又は菖蒲湯)を、相手の娘は知らないだろう。これをされるとてきめんに子が下りてしまうので困る」と話しているのを、娘の親が盗み聞いていて、すぐさま家に帰って孕ませられた蛇の子を流させるというもの。後者は、蛇女房に追われた夫が、菖蒲と蓬の生えた中に逃げ込むと、「そこに入ると腐るから」と蛇女房が諦めて帰っていったとある。これらの話が5月5日だったとして、端午の節句の日に農家の軒先に菖蒲を挿したり屋根を葺いたりする邪気払いの風習の由来ともされている。ここ生麦でも菖蒲の束を屋根に投げていたそうである。このような蛇と菖蒲と節句の三つ巴のハナシから、「蛇も蚊も」も縁があるとも取れるが、どうだろう。

午後2時半過ぎ、大蛇が町に繰り出した。昔は表から入りそのまま裏へ抜けたというが、今はほとんど頭を差し込むだけ。でも、なかには「土足で中に入ってくれ、家は壊していいから」という歓迎もあった。大役を果たし終えた蛇は翌日お焚き上げとなる。最近ではスクリューに絡む危険のために、海に流すことが禁じられているからだ。「沖へ沖へとまっすぐに泳いでいくのが、いつまでも見えたもんだ」と、しみじみ古老が懐かしむ。またこのままでは萱の不足が心配だとも。時代の変遷を越え、なんとかこの民族行事を来世紀にも伝えて欲しい。

神明社から出発する大蛇
地元の漁師だった明治生まれの長老も指導にかけつけた
町内を練り歩く
家の奥に蛇を突込む
境内に戻り、激しく絡む

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成9年(1997年)6月15日(日曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

当サイトからの無断転載を禁じます。
Copyright © Setsuko Kanno


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?