見出し画像

【き・ごと・はな・ごと(第8回)】はかない鷺草の命によせて

鷺草は、その花かたちを見れば名の由来がなんであるか一目瞭然、羽を広げた白鷺を思わせる白く可憐な花である。夏のわずかな風のそよぎに揺れるその様子は美しい。が、いかにも頼りなく儚げだ。東京都世田谷区には、そんな花姿にピッタリの伝説がある。

鷺草に寄せるその物語りのことを、最初に知ったのは「古寺と伝説の旅」(新井恵美子著・田園都市出版)という一冊の本からである。この夏、数年前に購入したその本を、何げなくペラペラと捲っているうち、ふと突然その伝説にちなんだ鷺草園のあるという場所へ行こうと思いたった。

※      ※

鷺草園のある浄真寺の最寄り駅、東急大井町線の九品仏駅に降り立ったのは、それからわずか30分後のこと。だが、果たして鷺草が見られるのだろうか?—八月のはじめに清らかな白い花を開かせるー先の本にはそう記してあったのだが、既に二十日を過ぎていた。すっかり花が終わってしまった公算の方が強い。・・・・・そんな思いで歩く蝉時雨の参道は、桜や松が立ち並び、まさに往時を偲ぶ味わいが漂う。鷺草園を確かめる以外には、それほど期待もせずに訪れたのだったが、3万6千坪におよぶ境内は、天然記念物のカヤ(推定樹齢700年以上)、銀杏を始め、トチ、菩提樹など古木大木が生い茂り、実は都内有数の風致地区であった。思わぬ穴場発見の気分である。

「この門の奥の方に咲いてますよ」、すれ違った参拝者のことばに、まさに小躍りする心境で荘重な仁王門を潜ると、本堂の裏手に鮮やかに咲き誇るサルスベリがあり、その下の方に何やら屈み込んだ人影がチラチラしている。近付いてみると、チラホラしていていたのは数人のカメラマン。三脚を立てて望遠レンズを熱心に覗いている。その視線の先に、白く小さな花弁を付けた鷺草が寄り添うように群生していた。

※      ※

九品仏の名で親しまれている浄土宗の名刹ここ浄真寺の開山は江戸初期、創建は延宝6年(1678)四代将軍家綱の時代である。鷺草伝説は、それより以前、この地に奥沢城が置かれていた室町時代にまで溯る。その奥沢城の娘、常盤姫が伝説のヒロインだ。

一六世紀半ば、この土地を支配していた世田谷城主吉良頼康は家臣奥沢城主の娘、常盤姫を気に入り側女に迎えた。並々ならぬ頼康の寵愛ぶりに古参の側室たちから嫉妬をかった姫は、ありもしない不義の濡れ衣を着せられて頼康から遠ざけられる。悲しんだ姫は幼いときから可愛がっていた白鷺の足に遺書を結び付け、両親の住む奥沢城に放った。たまたま狩りをしていた頼朝がその白鷺を射止めたことで、真相を知ることになり、駆けつけたが時既に遅し。白鷺の射落とされた場所から一本の草が生え、やがて姫に似た可憐で清楚な花びらを付けた・・・というものである。

昔、この世田谷区周辺にはたくさんの鷺草が自生していたという。その清らかで儚げな印象が、美しく薄幸な姫のイメージと結び付き、土地の人々はその花を目に留めるたびに姫のことを思い出し、ごく自然に語り告がれてきたのだろう。また、鷺草伝説は美濃の国にもみられるのだが、—その昔、恋人が豪雨で谷川に呑まれ、嘆き悲しんだ女が身を投げた、そこに鷺草が咲いたーと、やはりここでも悲恋で終わる。所変われど、この花に抱く儚げな印象同じなのだろう。

※      ※

ところが、今、この花の儚さがイメージだけでなく、現実のイミとして瀕死の危機にある。先日、環境庁から絶滅の恐れがある日本の野生植物をリスト化したレッドリストが発表されたのだが、鷺草はそのランクのトップ集団に入っているのである。開発行為により自生に適する湿地などが消えたのが起因のトップだが、それに次いで乱獲などの採取行為が大きな要因であるという。普段、栽培ものを目にする機会が多いので、これ程とは思わず、正直驚いた。またリストにはサクラソウ、フクジュソウ、フジバカマ、キキョウ、リンドウなど、お馴染みの植物が名を連ねている。秋の七草も、そのうち秋の三草になってしまうのか、と先日、当新聞の編集子とも話したのだが、ほんと、これは冗談ではないのだ。

東京では絶滅と言われている鷺草も、かっては都内各地の湿地で容易に見ることができたという。九品仏近辺でも大正末期まで自生があったと伝えられ、隣の自由ヶ丘では鷺草谷という地名もあった。世田谷区では一九六八年に鷺草を区の花と指定。鷺草園はその翌年に区の管理下で開設された。小滝を配し水を循環させた泉水式庭園風の風流なものであるが、栽培はデリケートでなかなか手間がかかるらしい。吸水性を考え、それまでの土を全部掘り出し、今年からは水苔に入れ替えた。株数は2500株くらい。通年の見頃は8月上旬〜半ばまでだが、今年は特別遅かったのだという。一番の悩みは、犬猫の粗相と写真家が湿地の中まで入り込んだり、かってな採取。「随分持っていかれました」とのこと。なんと、ここでも乱獲する輩がいるのだという。

東北の湿原で、霧雨にうち震えるように咲いていた鷺草を思いだす。今度訪れた時も、あの場所でまた会えるだろうか。 時、既に遅し・・・そうならないといいのだけれど。

参道
楼門
カメラマンの人気スポット
名の由来がわかる白い羽を広げた花姿
華麗な鷺が飛ぶよう
涼やかな風景に汗も引く

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成9年(1997年)11月15日(土曜日)号
※写真-1,2,5枚目は、2010年に追加取材し撮影したものです。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

当サイトからの無断転載を禁じます。
Copyright © Setsuko Kanno


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?