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【き・ごと・はな・ごと(第10回)】カイロ紀行―曼陀羅花木録(2)

カイロを訪れて、まず度肝を抜いたのは、偉大なギザの三大ピラミッドでも悠久の時を越えて流れるナイル川でもなかった。信号のない車道の横断が強いられる道路事情である。

結構のスピードで切れ目なく流れる車の列に、現地の人たちはヒラリと飛び込んで行く。互いに手を繋いだ女学生や小さな子供、ロバの荷車や馬車までもが悠然と渡る様子を見ながら、車の列が途切れるのを、ただひたすら待つだけの私はやはり紛うことなき異邦人であった。

表道路に背を向けて、地元庶民の生活感漂う裏町をよく歩いた。野菜や果物始め、地元の主食でもあるエイシという丸いパンなど、雑多なものが路上に迫り出して売られている。焼きトウモロコシ、体を洗うヘチマ、落花生(皮ごと油で揚げたもの)、焼き芋、それに綿菓子など、祖国と似通ったものが多いのも意外だった。その意外の最たるものが、物売りの節回しであった。タワシや箒、トイレットペーパーやらあれこれと積んで売り回っていた屋台の節声が、まるで「−たけやー竿だけー−」そのものだ。あれには驚いた。

歩き回りながら、ふと街路樹の多いことに気づいた。これは予想外であった。家の外に椅子を出し、ガラベーヤという足首までストンと体を包むイスラームの民族衣装にターバンを巻いた男が新聞を広げている。口ひげを蓄えた老人が路上で昼寝を決め込んでいる。チャイという砂糖をしこたま入れた甘い紅茶やトルキッシュコーヒーを啜りながらお喋りに余念のない陽気な人たちがいる。そんな彼らを直射日光から守るのが涼しげに枝葉を広げた街路樹だ。

あちこちで目に付くのがゴムノキとガジュマロといった雰囲気の長楕円の葉をつけたもの。フィーカスと言っていたからイチジク属には間違いなさそうだ。それといつも対で植えているのがネムノキ、ミモザにそっくりな葉を茂らせたもの。ごくたまーに花を付けているのを見ると、その花色やカタチがいろいろだから、似通った何種かの樹木があるのだろう。だが、葉だけでは、どうも見分けがつかない。よーく見ると、時折、サヤエンドウのお化け(30センチくらい)のような青い実をブラ下げている。それを指して聞いてみるとプシアニスだという。が、日本名ではなんというのか、さっぱり分からなかった。豆のカタチはサイカチだが、サヤの堅さが全く違う。

後で資料を引っ繰り返してみた。すると、カイロでは火焔樹が夏本番を迎える直前に一斉に咲き誇る、と書いてある。火焔樹は燃え盛る炎を連想させることから付いた英名(FLAME TREE)からのもの。日本では鳳凰木ともいうものだ。熱帯アフリカ原産の豆科。気になっていた街路樹はどうもこれかな、そう思い始めていた頃、たまたまテレビにカイロの街並みが写り、真っ赤な花を付けたあの街路樹がアップになった。やはり、それは火焔樹だった。

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樹木や植物の生育にとっては、けっしてエジプトは恵まれた条件のもとにある訳ではない。それ故に、ナイル川によってもたらされたわずかな沃地に育つ樹木や花、穀物に抱いていた神聖な思いは、計り知れないものがあるだろう。灼熱の照りつける太陽の日差しの下に陰を作る樹木は、まさに、命を繋ぐ天の恵みである。

古代に於いて樹木は、ことのほか大切に保護をされた。神が宿るとされた聖木はむろん切り倒すことはできず、他の樹木も許可なく伐採することは許されなかったという。

日干しレンガの粗末なビルの立て込む路地裏に大切そうに植えられた一本の街路樹を思うにつけ、この国の人々の自然に対する畏怖の念は、今でも古代と変わらないのだろう。四季に恵まれた土壌を持ちながら、街路樹が疎外された最近の日本の街並みと比べると、なおさらの実感である。

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感慨をさらに強めたのは、アレギザンドリアへ向かう途中でのことだ。この日、車を走らせた道路は、地中海に向かって花弁を広げる形のエジプトデルタの左端をひた走る。ギザの三大ピラミッドを左に見て右に大きくカーブすると、何故か国境ではないのに検問所がある。そこを無事通過すると、あとは220キロを疾走するのみだ。走りだしてからしばらくすると、ドライバーのムニエルが興奮した様子で喋りだした。わずか10年〜15年前までこの辺りは、まさにアラビアのロレンスの世界そのものだった。それが、現在国の政策により砂漠をオアシスに変え農地を開発しているのだという。巨大なパイプを引き、さらに各拠点から土の下に細いパイプを潜らせて人工的に砂地を水で潤すというものだ。それらに掛かる巨額な費用の相当量を日本が援助しているという。

窓に流れる大規模な農地もさる事ながら、その徹底ぶりに感心したのが、道路の中央分離帯に延々と栽培されているオリーブだ。これも鑑賞用なんぞではなく、実を絞って食用油としてエジプトの人達の口に入るものだ。オリーブの根元の砂土には、細いパイプが走っているのが見てとれる。それも、一本のオリーブの木に、一本のパイプが届くようになっている。確かに、ここまでして育てたものなら、絶対にムダにしようとは誰も思わない。

わざわざオリーブを見せるために車を止めたムニエルは、私の感激ぶりに満足したかのように、誇らしげな笑顔を見せた。

車輛前を横切る人たち
イチジクの葉陰で果物を売る
街路樹は日差しを避けるパラソル
イチジクと火焔樹が枝を広げる
火焔樹が植えられた旧市街
砂漠のハイウエイに植えられたオリーブベルト
ラクダも餌もナイルの恵み

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成10年(1998年)1月15日(木曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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