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【き・ごと・はな・ごと(第20回)】秋を知らせる紅い花―彼岸花に寄せて

背中で母の声がする。「ああ、そこにほら、彼岸花!。あの紅い花、彼岸花っていうのよ。お彼岸に咲くから彼岸花・・・・・」

あれは、いつだったろうか。その花の名を、始めて知らされたとき、ああ、この花は死に人の魂を乗せて、あの世から現れたのだ。鮮血のような悲痛な叫びを伴って、きっとなにかを訴えているのだ。とっさに沸き上がってきた思いを、疑いもせずに心の中にしまい込んだのを覚えている。おだやかな田園風景の中で咲き乱れるそのさまは、幼心にはあまりにも強烈すぎた。毒々しくすら写ったっその異様さが、たぶんあの世・・・異界と結び付けたのだと思う。

彼岸花の咲くあの風景は、その日だけのものだったのか、その後も何度となく繰り返されて目にしたものだったのか、それすらも覚えていない。が、恐らく後者だったのではと思う。

父が走らせる車の窓から見た景色だ。祖父の家に走る道すがらのことだ。稲穂が揺れる。その広がりの中を貫く畦道を、花束や手桶を手にした人たちが歩く。その行方にこんもりとした小島がある。彼岸花はそこに向う人々の足元に咲いていた。線香の煙りが揺らめきながら天に立ちのぼっていた。もしかしたら、あれは心象風景に過ぎなかったのかもしれない。だが、わたしにとって彼岸花は、いつでもあの日の情景と一緒だ。

あれからどのくらい経っただろうか。祖父も父もこの世の人ではなくなり、あの場の田圃も潰され、ニュータウンに様変わりした。わたしもすっかり大人(?)になって、あの花に脅えることもなく、ことさらに彼岸花を意識することもなくなった。

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それなのに、近ごろにわかに気になりだしたのは、救荒食だったというハナシを折々に本などで触れてからだ。―むかし、岩手で大飢饉があったときのこと、全県にわたりかなりの人が飢え死にしたときでも、彼岸花を食する習いのあったある特定の地域だけはただの一人も命を失わなかった。また伊勢や土佐、能登などでも食べていたーなどなど。なかでも『朝日新聞の世界花の旅』では原産地ともいわれる中国、揚子江流域の奥地に踏み入り、代々彼岸花を食べてきたという村人のことが紹介してあって興味を引いた。食べるのはニンニクのような球根部分だが、そこにはアルカロイドという毒があるから、もちろんそのまま口にすることはできない。すり潰すか、あるいは切り刻んで長時間水にさらし、そうしてできた澱粉をコメやもち米と混ぜて食べる。その割合はその時の食料事情によるとあった。そこではすり潰したものを毒蛇に噛まれたときの傷口に塗ったり、デキモノの治療にあてたりもしたとあった。

日本でも水にさらす方法はよく取られていたらしいが、他にも、粉に挽いたものを鍋に入れ、水分が蒸発するまで火にかけて捏ねるなどし、それを団子にしたり、雑穀と混ぜたり、さらには粉末入りスープを啜るなどしたそうだ。ここまでくれば余程のことだろう。 先の朝日の記事に立ち返るが・・・1959年~3年間、全土を襲った史上最悪の飢饉で出た餓死者は、なんと2千万人と推定されているという。彼岸花の花コトバはと調べたら・・・「悲しいおもいで」とあった。悲惨な飢饉のそれと関係あるのだろうか。

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墓地や畑、田圃、人家に彼岸花が多く見られるのは、その毒性を利用して人々が意識的に植え付けたからだという説もある。つまり、ネズミや毒蛇などを寄せ付けないようにするためだとか、雑草駆除の働きをしてくれるからとも聞く。とくに田圃の淵にある群棲には、大いなる深ーい意味合いがあるとか。彼岸花はどんな飢饉でも冷害でも彼岸の時期にスクっと花を付ける。それはまさに稲刈りのシーズンを告げてくれるシグナルにもなるし、凶作のときは飢えをしのいでくれる。そのことを後々までも忘れずにおくのは、どうすればいいか。稲と彼岸花、両者が同時に目に入るカタチであればベストである。田圃のそばに彼岸花・・・・これは暦も文字もない時代に里人が考案した不滅暗号だ。今でこそ本来のカタチは見えなくなったが、他にもこうした古代の知恵があちこちに備えられている筈ともいう。口伝に頼りがちのこうした民俗説にはハッキリとした記録がなく仮説にすぎないのだが、だからこそパズル解きの楽しみが尽きない。

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「とうとう咲きだしたわよ」。

開花第一号の知らせを届けてくれた友人と花見にでかけた。俗説を証明するほどには至らないまでも、確かにあった。かろうじて昔日の面影を残す都会の片隅の田圃。そのかたわらに彼岸花が寄り添うように群れていた。

この花には曼珠沙華というお馴染みの別称の他にも、方言や異名が1000ほどもあるという。それだけ人の心を捉えてきたともいえようか。秋の日差しを受けたその日の彼岸花は、なぜか、いじらしい程に健気で可憐に写った。

秋彼岸の頃―黄金色の稲穂が実る
畦にひっそりと咲く彼岸花
線香花火のよう
墓地を彩る群生(海老名 善教寺)
地蔵に寄り添う(海老名 椿地蔵)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成10年(1998年)11月15日(日曜日)号
*写真-4,5は、2010年に追加取材し撮影したものです。

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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