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【き・ごと・はな・ごと(第7回)】室町の世から伝わる茅の奇祭・本牧神社のお馬流し

我が国では古来より、茅には厄祓いや魔よけのパワーがあるとの民俗信仰が根強い。6月晦日の茅の輪りもそうであるが、呪術道具として茅を扱う行事は、各地に残っている。

今年、八月三日に行われた横浜、本牧神社のお馬流しも茅の神事である。永禄九年(1566年)およそ四百年以上前から続く。

お馬とは茅製の馬首亀体。体長約30㌢。長い尾を垂らし口には稲穂、首をもたげた馬頭には白幣を刺し、亀の体内には小麦と大豆を蒸し黄な粉をまぶした饅頭がご神饌として供えてある。本牧全域で六体作り、これに街中全ての災いや汚れを背負わせ、船で沖合の海上に流すのである。

現在の祭祀日は8月2日以降の最初の日曜だが、以前は旧暦六月十五日の大潮の日であった。潮流を気にするのはお馬が還ることを何より恐れるためだ。最近では大正十二年。そのあとすぐ関東大震災が襲ったこともあり、「こんど戻ってきたら、それこそ、こっちに神戸みたいな地震が来る時だ」と、氏子たちは、深い畏怖の念を抱いて祭りを守り続ける。

茅がなぜ、こんなカタチで祀られるようになったか、由来などを記すものは何もない。宮司さん曰く「古くより茅には汚れを清める力があると信じられてまして。たとえば夏越祭の茅の輪ですが・・・昔の夏は蚊が湧いたり疫病が流行ったりと不衛生だったし、汚れを祓い新たに年の残りを乗り切ろうと、そういうものですが、これもその意味合いに近い祭りです」。つまり、茅の霊力を借りて疫病を逃れるという信仰に基づいた茅の輪と同じ厄霊放流行事であるということ。それだけは明らかなようだ。

茅の輪の起源は、村中が悪疫で死に絶えたとき、茅垣で囲った、あるいは腰に茅の輪を吊るした蘇民将来の家の者だけが助かったという説話に引くことができる。

この辺りは鎌倉時代、幕府直轄の軍馬の牧場で、本牧の名もそこからけられたとか。その頃、疫病にあって死んだ馬を流したのが始まりとも言われるが、否定案が優勢である。

屋根を葺く茅は花尾を付けるとススキとなる。ススキの原は照葉樹林を人為的に伐採し、牧畜などをした開拓地に広がった二次的風景であるという。牧場だったこの辺は、秋ともなれば、見事なススキ原だったろう。カヤは馬の飼料にもなる。茅と馬は縁が深い。また、馬や牛などの家畜を川などで泳がせる地方もあったとか、それは疫病封じのイミであった。と、すると、お馬流しには、大切な軍馬たちが疫病がかからないようにとの呪いを含んでいたとも考えられないか?。

さらに、「ここは麦を主とした半農半漁の土地柄だった」という。漁師とくれば浦島太郎で、これはもう亀しかない。大漁祈願、海上安全の神様だ。稲穂、麦、大豆、キナコなどは五穀豊饒、豊作のイミであろうか。魔訶不思議なお馬のカタチには、本牧の歴史風土が詰まっていた。

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祭りの前日の朝、神社にお馬を迎え、御霊入れをして、そのまま一晩お泊まり願う。翌朝、宮出しをし、船で沖に運び海上に流す・・・・ざっと、こんな風な行事であるが、一連の儀式には、実に独特な作法や伝承事がやたらに多い。お馬を運ぶときは、絶対に目の高さより下ろしてはならず、扇形の板に載せ、うやうやしく両手で掲げながら頭上から頭上へと、緩徒で移動させる。炎天下に居並ぶ汗水だらけの氏子衆の頭上を、鳥居から拝殿までのたった五〇㍍移動させるだけで、なんと三十分もかかったのである。現在、神奈川県の無形民族文化財、民俗芸能五十選に指定されている。

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本来、この祭りは勇壮さが売り物で、手漕ぎの頃はお馬を流し終えた後に、各船が競漕して戻ったそうだ。

この日、埠頭突端の船着場から、祭礼船に仕立てられた二艘の漁船に揺られたお馬は、無事、海上に流された。祭り旗を翻し、笹竹を抱えた神官と、うやうやしくお馬を抱いた白装束に襷姿の氏子らを乗せた船が、コンビナート建て込む東京湾を、万国さまざまな船舶の行き交う波間を縫って行く光景は、さながら世紀末一大風俗絵巻を見るようで、これもなかなか見逃せないものがある。

本牧は戦後、米軍の接収にあい、本牧神社も800年以上鎮座していた十二天の地を離れ、仮住まいを余技なくされていた。現在の地に換地されたのは平成5年である。旧来の土地は江戸名所図会にもある風向明媚な岬の出島で、今、その周辺は埋め立てられ、周囲は、下水処理場になっている。

お馬の茅も、かってはその鎮守の裏手の山から採っていたというが、現在は住宅の空き地に専用の茅畑を設えてある。が、ここも近々に住宅用地として売却するらしい。町の変遷とともに祭りもカタチを変える。先人たちが受け継いできたお馬に対する畏敬を、次の世代はどう受け止めていくのだろうか。

頭上に掲げられ迎えられるお馬
拝殿にお馬を移す長い列
船に移されるお馬
お馬を乗せて走行する祭禮船
お馬を海上に流す
波に揉まれながら流れるお馬たち

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成9年(1997年)10月15日(水曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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