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【き・ごと・はな・ごと(第17回)】フランス紀行―曼陀羅花木録(3)

5月はバラのシーズンである。あちこちでバラ祭なるものが開催されるらしい。海外から業者や育種家が繰り出す大掛かりのものから、ご町内だけでこじんまりと開催するものまで、さまざまのようだ。その内容も品評会や花市、写真コンクールやバラの女王コンテストなど大小諸種乱れていて、さすがバラのご本家、フランスだけのことはある。

だが、なによりも実感したのは、色とりどり咲き乱れる花そのものの美しさではなく、人々がバラに寄せる心情とでもいったものであろうか。

パリの街を歩いていた時だ。行く手に大量のバラの花びらが撒き散らされているのが見えた。そのときは、結婚式のセレモニーだろうくらいにおもっていたのだが、そこは小さな小さな花やさん。それもバラ専門店だった。バラの花びらは道行く人たちへの粋なプレゼントといったところか。ちょうど夕刻のことなので、きっと萎れて売れ残ったものなどの花びらを撒いたのだろうけど、それにしても普通なら捨ててしまうところだろう。なんてお洒落れなサービスなのかと、この時は大いに感激したのだが、これは日常の暮らしとバラとの親密さに触れる、ちょっとしたプロローグに過ぎなかった。

ニースにて、教会の鐘の音に誘われるようにオリーブ公園の裏手に出た私は、そこで思いがけず素敵なローズ・ガーデンを見つけた。それほど広くはないがアーチやポール、東屋などが設えられた、いわば典型的なバラ園である。花種も花色もなかなか豊富で飽きさせない。敷地の東側にはパノラマの望める展望台もある。眼前には起伏に富んだ丘陵地帯の岩肌とその上に茂る鬱蒼とした緑、眼下には紺碧の海、さらにその手前にはパステルカラーの壁とオレンジの屋根瓦に統一されたコート・ダジュールの町並みが広がっている。

居心地も眺めも満点。土地っ子の人気デートコースで、市内で結婚式を挙げたカップルはたいてい此処で記念撮影をするそうだ。残念ながら一人でトボトボ歩くわたしは、もっぱらバラをモデルにひたすらシャッターを押すだけ。

園内には他にも何人かキャメラを抱えた人たちがいたが、そのほとんどが可愛い盛りの少女たちを被写体にして撮りまくる親たちであった。目を引いたのは一組の母と娘が繰り広げる撮影振りだ。服を着替えたり、ブラシでヘアースタイルをアレンジしたり。座ったり立ったり、腕を組んだり首を傾げて微笑んだり・・・・その熱心さときたら、プロも顔負け。それにしても、驚いたのはその少女は自分の横顔で左右どっちが見栄えがいいか、既にしっかり把握しているようだった。たぶんまだ七才くらいだと思うのだが。フランスの女の子は、こんな風にして自分を磨くセンスを養っていくのだろうか。

バラはキリストの愛と永遠の命を表す聖なる花、聖母マリアを讃える花でもある。その純潔さは清純な少女のイメージそのものだ。

バラを「花の女王」と謳ったのは、ギリシャの女流詩人サッフォーだった。さらに神話の世界へと辿ると、バラはアフロディテー、つまり美の女神ビーナスのシンボルである。海の泡から女神が誕生し、その泡が白いバラとなったとも伝わる。そして紅いバラは彼女が茨でケガをして流した、一滴の血が白いバラ染めて生まれたものだというのだ。確かに、バラはそんな想像をかき立ててもムリのない華麗な美しさを持っている。

このバラ園は昔、修道院の菜園だったそうな。修道院そのものは既に解散してしまったが、建物や当時利用していた汲み井戸の跡を今でも見ることができる。そこで思うには・・・・・かってこの場所でバラも育てられていたに違いないということだ。そもそもバラはその姿かたちを愛でるためでなく、薬効成分を含んだその芳香を利用するためにあった。宗教儀式に欠かせない香油の原料を採るためにも、修道院で栽培されるのが一般的だったからである。まだその頃のバラは、品種改良されて香りのなくなった現在出回っているものではなく、香水の原料となるオールド・ローズの類いだろう。

ビニール袋を手にした一人の少女がやってきて、花壇にしゃがみ込んだ。地面に舞い落ちたバラの花びらを拾い集めているのである。家人にでも頼まれたのか、わき目もふらずに拾い集めている。こんどは姉弟らしき二人連れが入ってきて、こちらもまた花びら拾いを始めたのだ。こんな光景を目にすることは、たぶん日本ではありえないことだ。パリの花屋の出来事がダブッて見えた。

ローマ時代、宴会で降らせた多量の花弁に咽せて客が窒息死した例があるが、バラの花びらを部屋に撒いたり、風呂に入れたりの風習はこの国の文化に長く馴染んだものだ。時を経て根付いた文化の片鱗を、垣間見たような気がする。

店先の花籠
修道院の菜園だったというバラ園
花びらを集める少女
この幼い姉妹もバラを拾っていた
バラ園からの眺め
右の教会ではミサが行われていた

次回マンダラ仏記最終回は香水の町グラースのバラ畑へ)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞—平成10年(1998年)8月15日(土曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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