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春の駒

若草萌えいづる高原の丘を
馬たちが颯爽と駆けていく。
長いたてがみは春風をきって
力強くたなびき、柔らかな大地に
弾む軽快なひづめの音が鳴り渡る…。

春駒、または春の駒。
実に春らしい素晴らしい季語だ。
その響きを聞くだけで目の前に明るく麗かな情景が浮かぶようではないか…。

ということで、今日の季語は「春の駒」に決まったわけだが、競馬も乗馬もたしなまない私にとって馬は決して馴染みの深い動物ではないのである。

馬をテーマに一話どうぞと言われて私の頭に浮かぶとすれば、以前NHKの『歴史探偵』という番組で見た「元寇」についての話である。テーマは「なぜ人類史上最大の強国『モンゴル帝国』が二度にわたる日本進出に失敗したのか」ということであった。

十三世紀、モンゴル軍は世界最強の騎馬隊を率いて破竹の勢いで領土を拡大していった。彼らの侵攻はとどまることを知らず、とうとう大陸を横断する広大な範囲を支配してしまった。遊牧民である彼らは物心つくころから馬にまたがっていたわけだから、その乗馬の技術は極めて高度であり、人馬一体となったモンゴル兵は向かうところ敵無しなのである。
記述によれば日本に襲来したモンゴル軍は船一艘あたり5頭の馬をのせており、その船が300艘あったから、都合1500頭もの馬を連れてやって来たはずであるという。これでは鎌倉時代のできたてほやほやの武士の国などひとたまりもないだろう。
ところが元寇の様子を描いた絵巻物を見てみれば、モンゴル兵たちは皆二本足でぬっくと立って弓矢など構えているではないか。
馬がいないのである。
どうしてか?

そこで歴史探偵は聴き込み調査を開始する。まず競馬のサラブレッドを輸送する方に馬の移動に関する事情を聴取した。いわく馬の心はとても繊細なので、輸送車に乗せると心拍数がまたたく間に急上昇してしまうのだという。平常40ほどの拍数はカーブや急ブレーキの時には110までにも跳ね上がってしまうのだ。長時間の輸送になるとかわいそうに馬たちは熱を出してしまうそうで、三時間に一度は休憩をはさむことにしているらしい。
それでは元寇のモンゴル軍はというと、彼らは朝鮮半島から出船してやって来るわけだが、その日程は17日間にも及ぶものだった。しかも彼らの用いたのは高麗式と呼ばれる朝鮮の船で、これがまた実によく揺れるのだ。
日本にたどり着いた時には馬はおろか兵士たちも船酔いでヘロヘロになっていたのではないかということだった。

熱は出るわ船に酔うわでヒドい目に会った馬たちはもうダメである。大陸を悠々と駆け回っていた時には一心同体だった兵士と馬の心にも、今や埋めがたい深い溝ができていた。1500頭の馬たちは皆そろって冷やかな視線を兵士の上に投げかけただろう。
馬に嫌われてしまったモンゴル兵は陸に上がった河童も同然だ。例え神風なんて吹かなくても、そもそも彼らに勝ち目などなかったのである。

ただしこの元寇(文永の役)は十一月のことであって、哀れな蒙古の馬たちは春の駒ではなかった。春の駒とは、
「明るい春を喜び楽しみ溌剌はつらつと野原に遊ぶ馬」のことをいうのである。

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