行く春
四月の終わりは、春の果ても意味していた。
あんなにも待ち焦がれた春が去っていくのは寂しいと、春を惜しむ季語は数多い。
しかし、現代は新年度の始まりも相まって、
晴れやかな春のイメージに引っ張られて、
なんだか少し、無理をしているのかなと、
在りもしないきらきらを出そうとしているのかなと、
きっとそういう歪みが集まって、
淀んだ澱が重なって、
五月に病を付けてしまったのかも知れないと
そんなことを考えていた。
連休だっていうのに、
連日の空は春を惜しんで泣きっぱなしで、
でもふと顔を上げれば、濡れた山がとても綺麗だった。
明るい緑の割合が増えていて、
田んぼの準備が進められていて、
こんな雨の中でも、次の季節を感じずにいられなかった。
寄せては返す、幾許(いくばく)の寂しさと春。
行く春(いくはる)
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