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東京五輪目前の小山田圭吾さんの件に思うこと

こんにちは。
東京五輪にまつわる様々なニュースに、感受性豊かではないなりに心を痛める木賀ちお🐧です。

世界中の選手やご家族や関係者の人が本当に気の毒です。なにより、オリンピック自体が歓迎されないムードになってしまっていることが残念です。

小山田圭吾さんのいじめの問題は、LINEニュースの見出しで久しぶりに目にする名前に懐かしさを覚え、その後ニュースサイトやご本人のツイートで概要を知りました。

当時の記事もすでにネット上に出ているのですが、あまりの内容に途中までしか読めませんでした。悲しすぎて。
もし、この暴力にさらされているのが我が子だったらと思うと、読み進められずサイトを閉じてしまいました。

フリッパーズ・ギターやコーネリアスは、私の世代ではかなり人気が高く、友達にも熱心なファンがいました。
きっとその頃のファンは、この雑誌を楽しみにして買ったことでしょう。

でもこの記事を読んで、当時のファンの人たちはどんな気持ちになったのでしょう。

ファンの人にどう思ってもらいたくて、このインタビュー記事をわざわざ活字にして、印刷して売ったのでしょう。

面白い要素がどこかにあると編集者が判断したからこそ記事になったのでしょうが、これを読んでアーティストをますます好きになるという人が果たして存在したのでしょうか。

人を攻撃したり悪しざまに罵ったり、侮辱したり怒鳴り付けたり暴力を振るったりする人を見て、その人のことを素敵だと思う人はまずいません。

それどころか嫌悪感や、軽蔑、恐怖などマイナスの感情しか生まれず、出来るだけそういう人には近寄らないようにしようと思うのです。

このような記事の掲載は、ミュージシャン本人にとっても、彼が作る音楽にとっても、全くプラスに働くことはなかったでしょう。ということは、音楽とミュージシャンをネタに部数を稼いでいる雑誌にとってもプラスはないのです。

誰も幸せにならない記事を世間に出したことで、幸せであるべき沢山の人が、時空を越えて傷つくことになりました。

いじめというのは、相手をよく知らないことによって起こる原始的で本能的で粗野で野蛮な行為です。

だからこそ、一度もいじめに関わったことがない人がほとんどいないのです。

頭を使わずにやってしまう行為だから。

いじめたことがないという人でも、身近で起こったときに見ているだけで止めなければ、自分も加担したのと同じです。

用心して自分をコントロールしていなければ、無自覚に加担してしまうのです。

いじめにまつわる苦い記憶を持たない人は少ないでしょう。

どんなに当時のことを反省して、謝りたいと思ったとしても、もう遅いのです。
傷つけたあとに、なかったことには出来ないのです。

人は間違いを犯す生き物だからこそ、自分の吐く言葉や行動が何をもたらすのか、少し考えてから発するように。

もし間違って発してしまったときには、すぐに間違っていたと認め、許されなかったとしても傷つけたことを詫びるように。

これからの人生で私自身が忘れないために。我が子やまだ見ぬ孫にもこの考えを受け継いでいくために書きました。

ではまた明日。













 

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