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小中学校の音楽の授業について思うこと 1

 日本の義務教育において当たり前のように置かれている「音楽の時間」についてずっと疑問を感じてきた。

 「音楽の時間」といえば、合唱、中学校ではクラス対抗の合唱コンクールやパート練習。鍵盤ハーモニカやリコーダーの練習、合奏などが思い出される。

 音楽が好きで生涯音楽を趣味や仕事にする人以外は、おそらく学校でしか経験することはないこれらの活動を通して、音楽の授業で子どもたちは「何を」学ぶのか。今の学校における音楽教育の目標とは何なのか。



 
 そもそも学校教育に音楽や美術教育が取り入れられた端緒は先進国日本として西洋に遅れをとらないよう始められた明治政府のプロジェクトだ。

その時代は今よりも情報インフラもなく、国民が学校以外に芸術に触れる機会などないし、その分、国民の文化レベルの向上に対する国の考えも真剣であったろうし、そこに必然性があったのだろうと考えられる。


 では現代はどうか。人は生まれたその日からあらゆる情報メディアを通じて音楽を聴き、映像で世界中の芸術に触れることができる。明治政府の芸術教育への真剣さと同じ温度をはたして今の文科省は保っているだろうか?



 自分の専門に関わって、僕は過去にたまたまいろいろな学校の授業を見学する機会があった。

 僕が見た実際の音楽の授業現場では、文科省から出ている学習指導要領(WEB上で誰でも見ることができる)にある、技術と情操教育のバランスのとれた立派な文言が並ぶ音楽科の内容や目標はさておき、「集団活動を通して社会性を身につけさせる」ことや「グループでまとまって表現を工夫し、発表できる」ことなどを最大の目標とし、そのための生徒同士のコミュニケーションや、マナー、規律を守ること、グループに貢献できる積極性や主体性を評価することに重点が置かれているように見える場面がほとんどであった。

 音楽の時間=コンクールに向けた合唱やパート練習の時間であり、学習指導要領にある大部分の内容はいつ教えられているのかと思う学校もあった。

これが本来の音楽教育なのだろうか?

「それの何が悪い?学校は社会性を身に付けるための場所である。」「教育の目標、目的などは時代とともに変わる」と言われればそれまでだ。

 実際、知り合いの中学校教員に聞くと今の学校現場における音楽科指導の要諦は「音楽そのものを教える」ことではなく、「音楽に関する様々な活動を通して内面の成長や社会性を身に着けさせる」ことなんだそうだ。

一見、もっともらしく聞こえるが、果たして今の多様化した生徒集団に週に一回たった50分そこそこの授業で意義ある成果を見いだせているのだろうか。また、内面の成長や個人の情操、社会性についてどう評価するのだろうか。結局、評価については表面的な知識や態度をテストで見るより他ないであろう。

 別の現役小学校教員は、「実は今の教育課程の中で音楽、図工、体育の目標とするところは完全には達成できない。本当に社会性や個人の力を付けるなら、集団で過ごす自由時間を増やした方がよほど意義がある」とのことだった。(まあこの辺りは様々な意見があるだろうが)

 

 本来の「音楽教育の目標」とは何だろう。

 それは「音楽の表現や読譜の技術を身につけたり、鑑賞のコツを学んだりすることを通して、興味の幅を拡げ、生涯にわたって音楽を愛好する心情を高める」ことなのではないか。

 結構ありきたりの文言のように聞えるが、子ども達の貴重な時間を割いて「音楽の授業」という教育課程を行うのであれば、最低でも押さえて欲しい内容である。同じような文言が学習指導要領にも謳われている。しかし、僕が実際現場を見てきた授業の目標は、「音楽を使った」社会教育であり集団マナー教育に徹しているとしか思えなかった。

 果たしてリコーダー合奏や合唱コンクールが、多くの子どもの生涯にわたって音楽を愛好していける心情を育てられているのだろうか。

 学習指導要領にある内容はもちろん、本来の「音楽教育」の目標は、今の教育課程の中ではとうてい実現できないもので、実際の教育現場の「音楽の時間」は、社会教育やマナー教育にそのほとんどを費やされているのではないか。

それは日本の英語教育と同じく、小・中学校9年間音楽を学んでも楽譜が読めない、歌や楽器が苦手で嫌いという人を多く生み出していることが物語っている。

 もちろん一部の子ども達に音楽を好きになるきっかけを与えているという側面もあることは否定しない。僕自身、音楽鑑賞の授業で新しい音楽に出会えた喜びや、何となく皆とそれを共有できたという喜びは今でも忘れられない。しかし、それも9年間でほんの数回のことであったし、それ以外の活動で今の自身の糧になっていると思えるようなものはどんなに思い返しても、ない。


 学校の果たす役割は明治時代と令和の現在では大きく変わった。現代日本では子ども達の新たな音楽との出会いや、仲間との共有の機会は学校の授業を通さずとも得られる環境が十分に整っている。

 では、学校教育に「音楽の時間」はもう必要なくなっているのか。社会教育や集団マナー教育なら、音楽の授業を使わなくても良いのではないか。これからの社会において音楽の授業が果たせる役割はもうないのか。

そのあたりの僕の考えを後半では書いてみたいと思う。

 


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